巴形薙刀(刀剣乱舞)とは、ブラウザゲーム「刀剣乱舞-ONLINE-」に登場する刀剣男士である。
我らの概要はここから
薙刀、巴形だ。
馬上用とも、小柄な者が使うための形とも言われるが、もっぱら典礼用とされるな
身幅が広く切先の反りが大きい、典礼用ともされる薙刀。
神格はより高く人としての意識は薄い。
主に対して過保護気味なところがあり、審神者が映えるよう傍らに控えたり、世話をしたりする。
刀種は薙刀。
正式サービス開始以降、長らく岩融(刀剣乱舞)のみだった刀種に、ようやく追加された新キャラである。
2017年7月4日~7月11日まで、鍛刀による入手が可能だった。鍛刀時間は5:00:00。
薙刀レシピは重めの配分という事もあり、一発で入手できた幸運な審神者もいれば、10振以上岩融しか出なかった審神者もあり、貴重な資材を溶かし尽くして抜け殻となったプレイヤーは相当数にのぼる模様。
キャンペーン終了後、現在は入手不可。ただし今後も定期的に登場するとの事なので、コツコツ資材や依頼札を集めつつその日に備えよう。
その後、2017年11月14日からの「秘宝の里~楽器集めの段~」にて、8万玉の報酬として再登場。確定報酬ということもあり、鍛刀キャンペーンで涙をのんだ審神者からは喜びの声が上がった。
青いルージュと化粧が印象的な、玲瓏玉の如き印象の美青年。左サイドの曲線的な一房の髪は、本体の特徴的な形を反映している。
白を基調とし、薄い長絹(ちょうけん)をまとった姿は、能の装束を彷彿とさせる。また肩から腰にかけて水色から桃色に変化する鳥の羽の装飾がついており、非常に華やかな印象を与える。一方で履物はピンヒールとなっており、長身もあいまって非常にインパクトがある。
内番装束は神職を思わせる、白い着物と浅葱色の袴。また、刀剣男士としては初の片眼鏡(モノクル)を右目に装着しており、執事然とした印象も与える。
他の刀剣男士と異なり、固有の銘や逸話を持たない存在。
すなわち「巴形」と呼ばれる形状の、数ある薙刀の集合体であり、ある意味同田貫正国(刀剣乱舞)や千子村正(刀剣乱舞)に近いのかも知れない。ともあれ、「本体の形状によって成立する刀剣男士」としては初めての存在である。
そのような出自もあってか、台詞には淡泊なものが多い。設定にある通り、人としての意識は薄いようだが、審神者に対しては惜しみなく忠を捧げ、何かと面倒を見ようとする節がある。とは言え、生まれたばかりの雛鳥が最初に見た相手を親と認識してついて回っていると思うと可愛らしくもある。
万屋に連れて行けば「重い物は俺に任せるといい」と荷物持ちを申し出たり、近侍に据えれば「用があれば俺を呼べ。声の届くところに控えていよう」と、奥ゆかしく務めを果たす。また内番も卒なくこなし、畑仕事ともなれば「さて、豊穣の神事はどうするのだったか」と、奉納行事に用いられる薙刀としての一面を覗かせる。
戦においては「お前たちと戦うために顕現したのだ、覚悟せよ」と宣言してその刃を振るい、真剣必殺では薙刀に共通なのかポールダンスのような美麗な姿を解放、本領を発揮する。レベルアップして特になると「戦闘経験により、俺の物語が拡充された。強くなった、ということだ」と口にする事から、主の刃として戦う事で己の『物語』を作っていく事を望んでいるようにも見受けられる。
また近侍に据えた時の台詞「静形はどうにも武骨だからな……傍仕えは、俺の方が向いていよう」からして、今後静形薙刀(刀剣乱舞)が実装される可能性も示唆されている。備えよう。
……とか言ってたら本当に来た。詳細は個別記事を参照。
手合せを岩融(刀剣乱舞)と行うと、通常とは異なる特殊台詞を口にする。
また、へし切長谷部(刀剣乱舞)と共に出陣すると、回想「命を果たすのは俺だ」が発生。
甲斐甲斐しく審神者の世話を焼く巴形に対し、主の一番でありたい長谷部。素性の知れぬ刀剣ということもあって「何か企んでいるのではないか」と真正面から問い詰めると……?
2018年4月17日より実装された静形薙刀(刀剣乱舞)との間にも回想が発生するなど、少しずつ彼の物語も拡充されつつあるようだ。
極実装
2020年2月12日、「極(きわめ)」が実装。
Lv65以降、修行セットの消費および96時間(4日)の修行を経て戻って来る。
ステータスが大幅にアップし、レアリティが一段階上昇、刀装枠が2→3スロットに増加。
また極になった薙刀共通の特性として、攻撃時に一定の確率で敵を1ターン行動不能にする。行動不能になった敵ユニットには星マークが表示され、次回行動時に攻撃が発生しない。
修行に出てみたはいいものの、「名もなき形の集合体、逸話を持たぬ自分は何処へ修行に行くのか」という根本的な問題に行き当たる巴。
答えを探すがなかなか見つからず、自分の名の由来を辿る事についても「その薙刀は俺そのものではない」と思考し、それをしてしまえば自分が自分でなくなり、歴史改変するのと同じだと手紙に綴る。
結局様々な時代を彷徨う事になる巴形は、あらゆる時、あらゆる場所に自分の元となった「名もなき薙刀」の存在を知る。そうした無数の薙刀が溶け合う中で、歴史に名を残す事のなかった主に向ける感情を見つけた巴形は、それを無視してはならない事、審神者の元で歴史を守る事で彼らに「恩を返した」ことになると考える。
「確固たる俺の物語は、主のもとでしか綴られぬ」と答えを出した巴形は、自分を使って「歴史の守り手としての物語」を綴ってほしいと告げ、本丸に帰還を果たした。
戦装束の全体的な印象はさほど変わらず、肩当が増えた事、左耳に小さな花を飾っている事などが細かな差異になっている。よく見ると装束の下は着流し風になっており、サイハイブーツ(!)と太ももがちらりと見える仕様となった。
主に献身的に仕える様は極前と相変わらず、あるいはそれ以上。主を抱き上げて運ぼうとし、万屋では荷物持ちを名乗り出るなどダメ審神者製造機っぷりは健在だった。
隊員に指名した時には「数合わせとは言わせんぞ」と宣言。政府による補充戦力としての扱いではない事を自負している事が伺える。
顕現したからには活躍しなければな
薙刀の詳細については、個別記事を参照。
薙刀の形状は、大別して「巴型(形)」と「静型(形)」の二つに分かれる。ちなみに岩融(刀剣乱舞)、および時間遡行軍の薙刀は、静型に分類される。
名の由来は、平安時代の武将・源義仲に付き従い共に戦った「巴御前」、同じく源義経の愛妾として都落ちの後も共に在った「静御前」である。ただし、彼女達が実際に薙刀を振るって戦ったという証拠は存在していない。
巴型は刀身の幅が広く、大きく弧を描いているのが特徴。一方で静型は刀身が細く、反りも浅いのが特徴である。
巴型は非力な女性でも扱いやすいとされ、江戸時代から女子の嗜みとして薙刀術が奨励されていた。また祭礼に用いられる事も多く、神事における奉納演武は現在でも見受けられる。
平安時代の頃から用いられてきた薙刀だったが、世が定まるにつれて需要は大きく減っていった。このため薙刀は時に鋳潰され、農具や金物に姿を変えていったという。
一方で名のあるものは磨り上げられて刀や脇差となる「薙刀直し造り」となり、粟田口吉光作の脇差「鯰尾藤四郎」「骨喰藤四郎」は、元は小薙刀であったと伝えられている。
こういった事情もあり、往時の姿で現存する薙刀は非常に少ない。日光東照宮(栃木県)、法善寺(山梨県)所蔵の薙刀などは、奉納された事でかつての姿そのままに現存する、貴重な例である。
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