キリル文字ではКГБ(カーゲーベー)と略されるが、これをラテン文字に転記すると「KGB」となる。
概要
チェーカーに始まるソヴィエト・ロシア秘密警察の系譜を引き継ぐ秘密警察機関であり、また対外諜報機関でもある。職員は軍隊式の階級を与えられているが軍とは独立した機関である。
正式名称は「Комитет государственной безопасности」(ラテン文字:Komitet Gosudarstvennoi Bezopasnosti)。英字略称から「ケージービー」と呼ぶ人も多い。
1954年に国家保安省(MGB)から改組されて成立。以降ソ連崩壊に至るまで対外諜報や国内防諜といった主任務のほか反体制分子の摘発や国境警備、要人警護などを担い、冷戦期のスパイ戦においてはアメリカ中央情報局(CIA)やイギリス秘密情報部(SIS)を初めとする他国諜報機関としのぎを削った。冷戦期の(及びそれを描いた)スパイを扱った作品にも、しばしば登場する。
またKGBは日本国内でも大使館職員などを隠れ蓑に活動しており、外事警察や公安などと水面下で戦いを繰り広げていた。主に新聞などマスメディアへの浸透、技術情報・アメリカ関連情報の入手などに従事していたとされる。
対外情報と国内治安を掌握するKGBはソ連国家の権力システムの中で重要な地位を占めており、軍・党(共産党)と並ぶソ連体制の象徴の一つでもあった。
現ロシア連邦大統領のウラジーミル・プーチンはKGB出身であり、ソ連崩壊後においてはKGBの後継機関FSBの長官も務めたことがある。
ソ連崩壊後
ソ連解体後は、KGBの後継機関の1つとして、1992年にエリツィン大統領によってMB(保安省)が設立された。しかしこれは短期間の存在に終わり、1993年12月からFSK(ロシア連邦防諜庁)となったが、1995年4月にFSB(ロシア連邦保安庁)に改名されている。
他に、対外諜報についてはロシア対外情報庁(SVR)、要人警護についてはロシア連邦警護庁が作られている。
上述の通り、ソヴィエト連邦崩壊に伴ってKGBは解体され消滅した。その背景には前述のKGBがソ連国家体制の象徴であったという事実に加えて一部のKGB関係者がソ連崩壊の際に抵抗勢力として行動したこともあげられる。しかし、KGBをはじめとする治安機関出身者(いわゆるシロヴィキ:武闘派)は現在のロシア連邦の権力中枢内部でも一定の発言力を持っている。
ソ連崩壊後、KGBの中の人たちによる体験談なども出版され、冷戦期には強大で不気味な敵とみなされていたKGBの内部にもくだらないお役所仕事とかトホホな失敗談といった人間的な弱みがあったことが判明した。
しかし、ことニコ動界隈においては、解体されたはずのKGBが依然として強権を振るい、共産趣味者の中に潜むトロツキスト、ファシスト、富農、資本主義者、反動主義者、帝国主義者などを摘発すべく日々監視を続けている。
KGB出身の有名人
- イワン・A・セロフ (初代議長、独V2ロケット技術鹵獲及びロケット開発を指揮)
- ユーリ・V・アンドロポフ (第4代議長、第5代共産党書記長)
- ウラジーミル・V・プーチン (第1総局員、第4代FSB長官、第2・4代ロシア連邦大統領)
- セルゲイ・V・イワノフ (第1総局員、第14代大統領府長官)
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