ポリティカル・コレクトネス(英:political correctness 略称:ポリコレ, PC)とは、直訳で「政治的な正しさ(or妥当性)」。人種・性別・文化・民族・年齢・宗教・政治指向・性癖等々の違いによる偏見、差別を含まない言葉や用語や表現を用いることを意味する。
また、秩序ある社会(あるいは、そう呼ばれるタテマエ)を維持するために政治的に正しい表現を求め、法律による規制やマスコミによる規範の提示(あるいは押し付け)、そしてアルゴリズムの改変などによって、ヘイトスピーチに代表される差別表現や性的表現に関連する描写・ポルノを、現実やネットなどの公共空間から減らそうと――あるいはあらゆる場所から排除しよう――とする動きや勢力のことである。程度によっては、全体主義的であると批判されることもある。
1990年代に入ってアメリカで大きく注目された考え方で「偏見・差別のない表現は政治的に妥当である」「偏見や差別の用語を撤廃し、中立な表現を利用しよう」との運動から始まり、差別是正に関する社会運動を内包する場合が多い。
また、異なる文化を持つ集団が存在する社会において、それぞれの集団が「対等な立場で」扱われるべきと考える多文化主義(英: multiculturalism)や、「女性差別の撤廃」をめざし、女性にとって差別と判断した文化や慣習を否定する考えであるラディカル・フェミニズム(英:radical feminism)とも親和性が高い。
この考え方の目的は「多様性(人種・性別・文化…etc)がみとめられる社会の形成」である。ただし、「特定の考え方でないものにマウンティングする道具」として使用されてしまうこともある(後述)。
1994年には、学術的な視点からポリティカル・コレクトネスに関連してアメリカで起きている衝突に関する紹介もなされており[1]、その中で、「少数民族,女性,障害者,同性愛者らに気を使い,発言に注意することなどは最低限要求される」「強制的色彩を帯びているのが特徴」「言い換えは、「言葉狩り」への懸念となる。」といった問題点も指摘されている(上記には、さらなる引用元がある記述あり)。
特にアメリカ合衆国で盛んな考え方であるため、反対意見もまたアメリカ合衆国で強く生じている。特に強く批判的な人々、例えばオルトライト(オルタナ右翼)、白人至上主義者、新反動主義者(暗黒啓蒙主義者)などに属する人々は、「ポリティカル・コレクトネスの理論的根拠は、文化的マルクス主義(cultural marxism、この用語を使う者によれば、フランクフルト学派のことを指す)である」と非難している。
日本でも「ポリティカル・コレクトネス」という言葉が一般化される以前から、1984年に現在で言うソープランドにあたる性風俗店の呼称「トルコ風呂」がトルコ人からの抗議でその呼称を撤廃することになったり、1990年に週刊少年ジャンプに連載されていた『燃える!お兄さん』の「サイボーグ用務員さんの巻」内で学校用務員に対する差別的な表現に対する抗議から自己回収が行われたりするなど、偏見や差別を排するための言い換え事例は存在していた。
だが、1988年~1989年に黒人に対する差別表現を問題視する市民団体が絵本『ちびくろサンボ』や漫画『おばけのQ太郎』の一部エピソードに対して抗議した結果、それらの作品や同作者作品の絶版あるいは回収騒動が発生し、これに対してこれらの作品に愛着を持つ人々から不満の声もあがった。また1993年には、高校国語の教科書に収録されることになった小説『無人警察』内の表現が差別的だとの指摘がありその対応の拙さから作者の筒井康隆が断筆宣言を行った。これらの事例は良く言えば「不快にさせまい」「差別・偏見を助長すまい」という企業努力であるが、悪く言えば差別表現に神経質となっている団体に対する「安易な自主規制」あるいは「配慮の強制」とも言え、読者や作者らとの摩擦が生じた早期の例と言える。
言い換え前 | 言い換え後 | 理由 |
JIS慣用色名登録済みの「はだいろ」 | 「ペールオレンジ」「うすだいだい」 | 色の違う肌を持つ人々への配慮 |
「看護婦」「看護士」 | 「看護師」 | 性別に特化した呼称を避ける[2] |
「保母」「保父」 | 「保育士」 | 同上 |
「痴呆」 | 「認知症」 | 元の用語が差別的な印象を与えるため |
「精神分裂病」 | 「統合失調症」 | 同上 |
「人格障害」 | 「パーソナリティ障害」 | 同上 |
「メクラウナギ」 | 「ヌタウナギ」 | 同上 |
ポリティカル・コレクトネスの考えは意訳すると「不快表現追放運動」「差別表現狩り」の事。そして、目的は「多様性がみとめられる社会の形成」であり、その点からみれば「不可解な理解しがたいもの」、というわけではない。
ただし、これに対して
俳優・映画監督で、政治活動家としても知られるクリント・イーストウッド氏は、映画撮影における表現の自由を尊重する立場からポリティカル・コネクトネスに強く批判的であり、男性誌『エスクァイア』に掲載された、ドナルド・トランプ大統領の発言についてインタビューを受けた際のコメントでは、ポリティカル・コレクトネスに対する以下のような異議を唱え、メディアがそれを煽って助長させていると主張している。
内心ではみんなポリティカルコレクトネスに媚びるのはうんざりしているんだ。俺たちは今、お世辞だらけの時代に生きている。俺たちは本当に、軟弱な時代にいるんだ。誰もが細心の注意を払っている。みんな、レイシストだとか何だとか責めているのを目にする。俺が育った時代なんて、こんなこと(トランプ大統領の発言など)は人種差別なんて呼ばれなかった。『グラン・トリノ』を作る時なんて、仲間までもが「これは本当にいい脚本だけど、ポリティカルコレクトネスに欠ける」なんて言ったんだ。そこで俺は、「よし、今晩読むよ」と言った。翌朝俺は、脚本を奴の机に叩き付けて言ったんだ。「これをすぐ始めるぞ」。
HUFFPOST https://www.huffingtonpost.jp/2016/08/05/-clint-eastwood-donald-trump_n_11345598.html 更新:2016年08月05日 21時56分 JST 最終閲覧:2018年6月30日 7時48分 JST
ある時は「互いに尊重しあうための工夫と申し合わせ」であり、またある時は「たちの悪い言葉狩り」。
どちらの色が濃くなるかは関係する人々の行いしだい。
推進者が「偽善者」「本質を見ない形式主義者」「独善的」と貶されることもあれば、批判者が「差別主義者」と貶されることもある。
掲示板
15969 ななしのよっしん
2024/05/10(金) 13:29:29 ID: RpHTY9h3z1
結局21世紀の魔女狩りか
後で見ると倫理的な正当性はなく被害だけが残る
多様性や平等の尊重なんてどこにもないし
15970 ななしのよっしん
2024/05/13(月) 01:09:18 ID: 2w5Jdx6sHw
ポリコレが最終的にどんな黒歴史として教科書に載るかを見届けるってだけでも長生きする価値は生まれたかもね
数十年後にどうなってることやら
15971 ななしのよっしん
2024/05/13(月) 19:11:31 ID: 3dHt5XVHE6
一応形の上では表現の自由とか多様性の尊重より上位に位置するから(日本で言うと表現の自由より黒海苔やモザイクの方が強いw)
始末が悪いよな
政治的社会的配慮と言われるともう表現の自由を掲げたくらいじゃ戦えない
日本が飲まれないことを祈るのみ
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最終更新:2024/05/13(月) 19:00
最終更新:2024/05/13(月) 19:00
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