アポロ1号とは、アポロ計画のミッションのひとつ。アポロ司令船の有人初飛行となるはずだったが、地上テスト中の火災により宇宙飛行士が死亡、ミッションはキャンセルされた。
概要
アポロ1号は1967年2月21日に打ち上げられる予定だった。その前の1967年1月27日、プラグアウト・テストと呼ばれる地上でのテスト中、司令船内で火災が発生、爆発した。宇宙飛行士3名は発生した毒ガスを吸い込み、わずかな時間のうちに死亡する結果となった。
死亡したグリソムはマーキュリー計画のオリジナル・セブンの一人でジェミニの初飛行も担当したベテラン、ホワイトはアメリカ人初の宇宙遊泳を果たした人物でもあった。
火災の発生源は公式には明らかでないが、擦り切れた配線が火元と見られる。ここから発生したスパークが純酸素で満たされた船内のプラスチック材に延焼し、爆発的に燃え上がったものと推測された。飛行士たちの着用する宇宙服もナイロン製であり、火災によって解けてしまうほどだった。開発を急ぐあまり安全性が犠牲にされてきたことに、NASAをはじめ関係者全員がショックを受けた。この反省に立ち、船内の環境制御の見直しや徹底した不燃材使用が実施された。このため、アポロ7号で初飛行を達成するまでに1年9ヶ月を要することとなった。
アポロ1号の名称
このミッションの正式名称は当初AS-204 (Apollo-Saturn 204)だった。これより以前に、サターンIBによる無人打ち上げが3度実施されていた(打ち上げ順にAS-201、AS-203、AS-202)。この順序からいけば、AS-204は本来「アポロ4号」と呼ばるはずだった。
グリソムたち乗員は「初の有人飛行であるから」という理由でアポロ1号と命名することを希望し、ミッション・パッチ等も作成して準備を進めていた。しかし事故によって、NASAのお墨付きをもらう機会を逸してしまった。
事故後、NASAでは名称についてしばらくの間議論が続いたが、最終的にAS-204をアポロ1号とし、2号、3号は欠番、他のAS-201、AS-202、AS-203は記号のままとすることに決定した。ただこの決定がなされる前に慣例的に呼ばれていた名残としてAS-203をアポロ2号、AS-202をアポロ3号とする資料も存在する。
クルー
コマンド・パイロット | バージル・I・「ガス」・グリソム |
シニア・パイロット | エドワード・H・ホワイト |
パイロット | ロジャー・B・チャフィー |
関連動画
関連商品
関連コミュニティ
関連項目
- アポロ計画 ( アポロ1号 - アポロ4号 - アポロ5号 - アポロ6号 - アポロ7号 - アポロ8号 - アポロ9号 - アポロ10号 - アポロ11号 - アポロ12号 - アポロ13号 - アポロ14号 - アポロ15号 - アポロ16号 - アポロ17号 )
- 3
- 0pt