エイドリアン・スーティル(Adrian Sutil、1983年1月11日 - )は、フォース・インディアF1チームなどに所属していた元F1ドライバーである。ドイツ出身。
概要
バイオリニストの父、ピアニストの母という音楽一家に生まれる。
スーティルもピアニストになる為の英才教育を受けるが、14歳の時にゴーカートの虜になりその道を中断。ピアノの音よりもエキゾースト音に魅力を感じたのだろう
2006年 全日本F3でシリーズチャンピオン、SUPER GTにも参戦
2007年 スパイカーからF1参戦。チーム名は変わったが現在に至る。雨の富士で9位フィニッシュも、リウッツィのペナルティで8位に繰り上げ、スパイカーF1に初ポイント(そして唯一のポイント)をもたらす。
2008年 スパイカーが買収されフォース・インディアF1チームが設立。チームはスパイカー時代から引き続きスーティルを起用。モナコ等何度かポイント獲得に非常に近い所までいくものの、その都度追突されたりクラッシュしたりでフォース・インディア初ポイントをもたらす事はできていなかった。
2009年 ヨーロッパ高速2連戦で覚醒したフォースインディアを駆りイタリアGPで4位入賞。なお、フォースインディア初ポイントは前戦のフィジケラ2位表彰台。
2010年 フォースインディアのマシンが熟成されてきたこともあり、ポイントを狙える走りを見せ、マレーシアGPで5位入賞。その後も着実にポイントを稼ぎ47ポイントを稼いだ。
2011年 前シーズンに引き続き着実に入賞しポイントを積み重ね、シーズン通してリタイア2回と安定した走りを見せた。しかし、シーズン中に傷害事件・裁判沙汰を起こしてしまい、翌シーズンのシートを失ってしまう。
2013年 1年の浪人を経てフォース・インディアに復帰。モナコGPで5位入賞を果たすもシーズン中のタイヤ規定変更により以降は苦戦。シーズン後に若返りを図るチーム方針のために契約更新されず。押し出される形でザウバーに移籍することとなったのだが…。
2014年 チームの資金難とマシンの戦闘力の無さに泣かされ獲得ポイント0でシーズン終了。更にシーズン終了後にはザウバー側がレギュラーシート2つに対し4名のドライバーにレギュラー契約をするという所謂「多重契約騒動」に巻き込まれた上、レギュラーシートを失ってしまった。
2015年 なんとかウィリアムズのリザーブドライバーに就任。シーズン後契約延長できず、そのままF1の舞台を去ることとなってしまった。
これ以降、スーティルのモータースポーツのトップカテゴリでの活動記録が途絶えている。
2020年に久しぶりにメディアにスーティルの名前が出た。しかし内容は愛車が事故で大破したという切ない知らせであった。ちなみにその愛車は世界に20台しかない『マクラーレン・セナLM』であり推定価格は約2億円。カラーリングはスパイカーのマシンと同様の鮮やかなオレンジ色であった。
エピソード
- ウェットレースで印象的な走りをしており「雨のスーティル」「レインマン」と言われる。もっとも、その走りが接触やトラブルなどで結果につながらないことも多い(ex.09年中国GP)
- 戦闘力の劣る中堅~弱小チームのマシンでもポイント圏内付近を走るスピードも持ち味の一つ。
- カーナンバーは「99」。理由は「僕はいつでも最大を求めているから」(2~99の中からの選択制)。
- ポイント圏内を走っていた08年モナコGP、09年ドイツGPはともにキミ・ライコネンとの接触でポイント獲得をふいにしている。
- 06年はスパイカーの前進ミッドランドF1でサードドライバーをつとめており、F1昇格後一度も移籍してないにもかかわらず3チームに所属したレアなドライバーである。
- 2014年ドイツグランプリにて、それまでのピエルルイジ・マルティニの「119戦出場、表彰台未登壇」の記録を塗り替え、最終的には 128戦まで記録を伸ばした。後にニコ・ヒュルケンベルグに更新された。
- ルイス・ハミルトンとは親友であったが、前述の傷害事件の際にその場にいたのに証人として裁判に出廷してもらえず、更には連絡先を変更したのに知らせてもらえなかったことなどから関係に亀裂が入ってしまった。
関連動画
関連項目
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