スネークマンショーとは、桑原茂一・小林克也・伊武雅刀によって結成されたラジオコントユニット、またはそのラジオ番組である。1980年代前半に活躍した。
概要
そもそもは、1970年代にジーンズメーカー・EDWIN(エドウィン)が、店内用販売促進BGMとして流すテープの製作の依頼を、発起人の桑原茂一に打診したのがきっかけで生まれた。この名前はメンバーの小林克也がアメリカのDJ「ウルフマン・ジャック」のモノマネで当初番組進行をし、その小林が巳(ヘビ)年生まれだったことから「スネークマン」を自称したことが由来。
シュールなラジオコントと通好みの選曲というスタイルは、この頃から確立されている。
このテープは好評を博し、ラジオ番組化される。ラジオ大阪・ラジオ関東(現:RFラジオ日本)・TBSラジオと渡り歩いたが、その(当時としては)過激な内容(現代の深夜番組としてであれば、さしたることはない)からNGが出るようになる。
そこで、親交のあった「YMO」とコラボレーションして、アルバム『X∞増殖』を製作。これが大ヒットとなり、以降は制約の少ないレコード盤などによる新作リリースに再度方針転換する。
その後は、小林と伊武らの確執があった模様で「スネークマンショー」としてはフェードアウトし、彼らは一度袂を分かって歩み出すことになる。上述した各メンバーの記事もそれぞれ参照されたい。
この独特な笑いの表現法は、その後のお笑いにも多大な影響を与えた。それまで「ベタ」な笑いしか存在し得なかった日本のお笑い界に「シュール」を加えた先駆者である。
時は流れて2013年8月11日、東京・夢の島公園で開催された夏フェス「WORLD HAPPINESS」において、彼らが事実上の「復活」を遂げた。この場において、小林と伊武が歌った唯一のシングルカット曲である「咲坂と桃内のごきげんいかが1・2・3」も、発表から32年ぶりに披露された。
後世に与えた影響
スネークマンショーのファンであった者たちが後に作り手となり、作品に由来するオマージュなどの内容・演出・作品などを数々生んだり、伊武を起用したり、「コント先の本家乗っ取り」などのミラクルを起こしている。以下で詳述。
- 「オレたちひょうきん族」(フジテレビ)のオープニングは「スネークマンショー海賊盤」のイントロダクションを模倣したものである。初代のナレーションは伊武であった。
- 「秘密結社鷹の爪」などFLASHアニメでおなじみ「蛙男商会」が名乗るペンネーム・「FROGMAN」の由来は「スネークマンショー」から来ている。彼らへの謙遜・尊敬を込めて「蛇には敵わない蛙」(天敵であるため)から「スネーク」を「フロッグ」に変えたもの。
- お笑いコンビ「バナナマン」の「マン」の由来も、スネークマンショーである。ちなみに、彼らがパーソナリティをつとめる「バナナマンのバナナムーン」(TBSラジオ)のテーマ曲は、YMOの「X∞増殖」に収録された「MULTIPLIES」である。
- 「空から日本を見てみよう」(テレビ東京)のスタッフによると、当初はラジオのDJ番組みたいなノリの番組を目指していたようで、そのモデルとして考えられていたのがスネークマンショーであった。番組キャラクターである「くもじぃ」の中の人に伊武を抜擢したのは、その名残りである。
- 長寿ラジオ番組『JET STREAM』のパロディコント『JET STRIP』で伊武が「欲情達也」(城達也氏のパロディ)として演じていたのだが、後年になって本当に当該番組の機長(パーソナリティー)を務めることになってしまった。綺麗なハイジャックだ!
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関連項目
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