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トミー・クルーズ(Tommy Cruz、本名:シリロ・クルーズ・ディラン(Cirilo Cruz Dilan))とは、元プロ野球選手である。

概要

1951年2月15日生まれ。プエルトリコアローヨ出身(現在籍はアメリカ合衆国)14人兄弟という大家族で育った。

いわゆる野球一家に生まれ、一家の中からトミーを含め3人がプロ野球選手となっている。ホセクルーズは後にヒューストン・アストロズ永久欠番定された名選手。のヘクタークルーズメジャーで一時期レギュラーとして活躍し、日本でも読売ジャイアンツで1年プレーしている。

高校卒業後、1969年セントルイス・カージナルス契約1973年メジャーデビューし、3試合に出場(ただし打席には立っていない)。しかし、と違いメジャー舞台で活躍できず、その後移籍先のシカゴ・ホワイトソックスで4試合に出場したが安打を放つことはできなかった。以降はメジャー昇格することなく、MLBでは1安打記録する事はできなかったが、1979年には3A首位打者を獲得していた。

1980年、開幕前に日本ハムファイターズに入団。調整期間が少なかったこともあり、前半戦は日本人投手特有の変化球攻めに苦しみ、振るわなかったが、7月末の南海ホークス戦で本塁打を放つと、この試合を含め5試合連続本塁打記録するなど日本野球に適応。最終的には打率.309、26本塁打、84打点の好成績を記録

1981年打率.297、19本塁打、75打点パ・リーグ最多の30二塁打記録し、チームパ・リーグ制覇に貢献。

1982年打率.268、17本塁打、67打点と前年より成績を下げてしまったものの、後期優勝に貢献。プレーオフで敗退したが、殊勲打も多く、プレーオフ優秀選手賞に選ばれた。また、オールスターゲームにも初出場を果たしている。

1983年打率.320、11本塁打、74打点記録

1984年、開幕から好調を維持し、打率.348ブーマー・ウェルズに次ぐパ・リーグ2位のハイアベレージを記録した他、29本塁打、96打点と打撃三部門でキャリアハイの成績を残した。2年ぶりに出場したオールスターゲームでは、江川卓の8連続奪三振の8番の打者となっている。

1985年8月に球団新記録となる間42安打記録し、打率.321、19本塁打、70打点と好成績を残したが、オフに就任した高田繁監督が長打力のある打者をめたことから構想外となり、退団。そのまま現役を引退した。

引退後は故郷のプエルトリコアメリカマイナーリーグ導者として活動。

2016年台湾代表の打撃コーチを務めた後、台湾プロ野球の中信兄弟、富邦ガーディアンズ楽天モンキーズコーチを務めた。

人物・エピソード

快なスイングで柏原純一トニー・ソレイタらとともにクリーンナップの一を担ったクラッチヒッター。ヘルメットが吹き飛ぶほど快なスイングだが三振は少なく、典的なパワーヒッターというよりは二塁打の多い中距離打者であった。対左投手満塁の場面でも強さを見せていた。

導者としては日本時代の経験をベース導していたという。

優勝争いの最中に体調を崩し高熱にうなされながらも強行出場したり、顔面にデッドボールを喰らい7針塗った翌日の試合に出場したりと、大沢啓二監督好みのガッツあふれる人物であった。一方で優勝争いやタイトル争いのくなると、欠場したり帰してしまったりとドライな面も持っていた。

通算成績

打撃成績

通算:8年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
MLB:2年 7 2 2 2 0 0 0 0 0 0 0 0 0 0 .000 .000
NPB:6年 712 2995 2780 345 863 120 466 9 2 25 178 10 220 78 .310 .351

獲得タイトル・表彰

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