フロイド・メイウェザー・ジュニア(Floyd Mayweather Jr. / 1977年2月24日 - )とは、米国の男性プロボクサーである。
身長173cm、リーチ183cm。愛称:プリティーボーイ、スピードスター、マネー。
類稀なスピード、最高級のオフェンステクニックとディフェンステクニックで史上初、全戦全勝のまま世界5階級を制した自他共に認める天才。PFP最強と称されていたが、一時引退している最にマニー・パッキャオの大躍進によりその称号は奪われる形となる。現在はフォーマーPFPに甘んじており、パッキャオとのメガファイトが期待されている。
父のフロイド・メイウェザー・シニアはシュガー・レイ・レナード
と対戦したこともあり、現在ボクシング界では偉大な名トレーナーとして知られる。叔父のロジャー・メイウェザー
も名トレーナーであり、世界2階級制覇を達成したボクサーであったため、ジュニアはボクシングエリート一家に生まれ育った。
ビッグマウスとして有名であり、対戦相手を言葉で軽蔑したり、私生活での暴力沙汰などでマスコミのネタされているが、ヒール役を自ら望んでいるようである。
「お前が遊んでいる時、俺は練習している。 お前が寝ている時、俺は練習している。 お前が練習している時、もちろん俺もお前よりハードに練習している」「俺ほどボクシングに全てを捧げたボクサーはいない。 俺の勝ちたいとやつらの勝ちたいは別物なんだ」といった発言に象徴されるように、周囲からクレイジーとさえ言われるほどの練習の虫であり努力家であるが、一方ではこの猛練習も「金のため」と思っていると発言している。
来歴
1996年、アトランタオリンピック・ボクシングフェザー級で銅メダルを獲得し、同年の10月11日、ロベルト・アポダーカに2回KO勝ちでプロデビュー。その2年後の1998年10月3日、ヘナロ・エルナンデスから、8回TKO勝ちでWBC世界スーパーフェザー級王座を奪取、デビュー約2年で初の世界タイトル戴冠。
2階級目は2002年4月20日、ホセ・ルイス・カスティージョから、3-0の判定勝ちでWBC世界ライト級王座を奪取。さらに増量すると、2005年6月25日、アルツロ・ガッティ
から6回終了TKO勝ちでWBC世界スーパーライト級王座奪取し3階級目の制覇。2006年4月8日、ザブ・ジュダー
から3-0の判定勝ちで、IBF世界ウェルター級王座奪取、4階級目の世界王者も成し遂げる。同年11月4日、カルロス・バルドミール
から3-0の判定勝ちでWBC世界ウェルター級王座を奪取し、WBCでは初めてとなる同一団体4階級制覇。
翌年の2007年5月5日には、オスカー・デ・ラ・ホーヤとの1億2000万ドル以上の興行収益を生み出した世紀の一戦を2-1の判定勝ち。WBC世界スーパーウェルター級王座を奪取し、5階級制覇達成。全勝のままでの5階級制覇は史上初。同一団体での5階級制覇も史上初である。
2007年12月8日、リッキー・ハットンとの無敗対決で、10回TKO勝ちでWBC世界ウェルター級王座を防衛したが、2008年6月6日、一度引退。引退の3か月前にはWWEのレッスルマニアにも参戦、ビッグショーと対戦していた。
2009年9月19日、ファン・マヌエル・マルケスとの試合で現役復帰。引退する前と同様のスピード、ディフェンスを保持し、2回にダウンを奪うなど圧倒して判定勝ちを収める。2010年5月2日、シェーン・モズリー
と対戦。2ラウンドにビックパンチを受けてピンチに陥るも、その後は安定した試合振りで相手を寄せ付けず、大差の判定勝利。
2011年9月17日、WBC世界ウェルター級王者のビクトル・オルティスと対決。4ラウンドに相手の頭突きを受け、反則行為として中断された試合が再開された直後、左右のコンビネーションをヒットさせてのKO勝利。ルール上は問題ないものの「スポーツマンシップに欠ける」として非難を受ける結果となった。
2012年5月5日、WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者のミゲール・コットと対戦。多少押される場面もあったものの、終始試合をコントロールして3-0で判定勝ち。同時にこの試合にかけられていたWBCダイヤモンドベルトも獲得した。
2013年9月14日、次世代のスター選手であるWBC世界スーパーウェルター級王者のサウル・アルバレスと対戦。WBA・WBC・リングマガジンのスーパーウェルター級王座が掛かったこの統一戦はメイウェザーがアルバレスを圧倒。2-0で判定勝ちし、王座統一に成功した。ちなみにドローをつけた女性ジャッジは非難され、その後に辞任することになった。
そして2015年5月1日、5年前から画策されていたマニー・パッキャオと史上初のWBA、WBC、WBOという3団体統一ウェルター級王座戦が実現。一晩で約590億ドルが動いたとされる21世紀最大の一戦を制し、初の3団体統一王座に就くことになった。
2015年9月2日にWBA世界ウェルター級暫定王者アンドレ・ベルトと対戦し、3-0で大差判定勝ち。その後2度目の引退を表明した。
戦績・獲得タイトル
49戦49勝26KOと、2015年9月現在までキャリア無敗の記録を保持。
- 第22代WBC世界スーパーフェザー級王座
- 第27代WBC世界ライト級王座(後に名誉王者に認定)
- 第28代WBC世界スーパーライト級王座
- 第10代IBF世界ウェルター級王座
- 第33代・第37代WBC世界ウェルター級王座(後に名誉王者に認定)
- WBA世界ウェルター級スーパー王者
- 第19代WBO世界ウェルター級王者
- 第37代・第44代WBC世界スーパーウェルター級王座(後に名誉王者に認定)
- WBA世界スーパーウェルター級スーパー王者
- WBC世界スーパーウェルター級ダイヤモンド王座
関連動画
関連項目
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