概要
カナダの自動車部品メーカーである「マグナ・インターナショナル」の子会社であり、主にメルセデス・ベンツの乗用車を製造している。独自の販売ブランドを持っておらず、受託生産、設計のみを請け負う。特に四輪駆動車の技術については100年以上の歴史があり、ゲレンデヴァーゲン(Gクラス)もメルセデスとの共同開発である。近年はメルセデスだけではなくBMW、プジョーなどの車種の生産も行っている。ちなみにステアーAUGで著名なステアー・マンリッヒャー(シュタイヤー・マンリッヒャー)社とは同根企業である。
歴史
1899年、オーストリアにおいてダイムラー・モートレン・ゲゼルシャフト社が現地の蒸気機関製作所をノックダウン生産のための会社である「オーストロ・ダイムラー」としたのがはじまりである。当時、ゴットリープ・ダイムラーは息子であるパウル・ダイムラーに次期社長になってもらいたいと思っていたらしく、その実績作りにオーストロ社で生産する自動車の設計をパウルに委ねたが、結果は芳しくなかった。そのうえ父であるゴットリープが病死したので社内での立場が苦しくなり、イギリスのデイムラーに出向するもイギリス人とウマが合う訳もなく本社にも戻れずオーストロ社に赴任することとなる。ここでパウルが見出した若者がフェルディナンド・ポルシェであった。フェルディナンドは数々のエンジン、自動車を設計し、彼の設計した車がレースで素晴らしい活躍を見せたことからウィーン工科大学から名誉博士号を授与されることとなった。しかし、レースでの死亡事故の原因を全て押し付けられそうになったため、即日辞表を叩き付けダイムラー本社に移籍することとなる。また、パウルもダイムラーを離れ、アウグスト・ホルヒが追放された後のホルヒ社に移籍、直8エンジンやアルグスの航空用エンジンなどを開発した。
一方シュタイア社は1916年に自動車部門が設立され、タトラと一時険悪な状態になっていたハンス・レドヴィンカが籍を置いていた。その後すれ違いでフェルディナンド・ポルシェがダイムラー本社から移籍してきたものの、経営状態は良くなかったようで銀行主導の下オーストロ社との合併が決定されるや否や独立してしまう。こうして2社は合併し、「シュタイアー・ダイムラー・プフ」となった。
第二次大戦後は壊滅的打撃を受けるもRSOトラクターの生産や「プフ」ブランドでのフィアットのノックダウン生産などで糊口をしのいだ。ちなみにこのシュタイア製フィアット500(ヌオーバ500)である「プフ500」はオリジナルの直列2気筒ではなく水平対向2気筒を搭載しており本家の500より速かったらしい(そのせいでイタリアのレースから追い出されたとかなんとか)。その後共産主義体制下で戦争犯罪人として収監されていたレドヴィンカが復帰し古巣であるタトラに対して強い不快感を示したため、息子とともにシュタイア社での仕事を行うようになった。こうしてオーストリア軍、スイス軍などにも採用されている軍用車「ピンツガウアー」「ハフリンガー」や、世界各国で採用されている軍用車「ゲレンデヴァーゲン」などの設計を行った。他にも初代フィアットパンダ4x4の四輪駆動システムなども設計している。
1970年以降合理化が進み、複合企業であったシュタイアは創始者であるヨーゼフ・ヴェアンドルの死後は解体が進んだ。自動車部門もカナダの大手自動車部品メーカーであるマグナ・インターナショナル社に買収されて現在に至っている。
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関連項目
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