モハメド・アリ(Muhammad Ali)とは、アメリカ合衆国の元プロボクサーである。ケンタッキー州ルイビル出身。出生時の名前はカシアス・マーセラス・クレイ・ジュニア。身長191cm、リーチ203cm、体重80〜107kg。生涯戦績61戦56勝(37KO)5敗。1942年1月17日に生まれ2016年6月3日に没した。
概要
アメリカ史上、いや人類史上最高のスポーツ選手だとされるレジェンド中のレジェンド。
やってのけたことが余りにも偉大過ぎるのでもはやスポーツマンというより人間の域を超越している。
オリンピック金メダルを引っ提げ、プロボクサーとしてもヘビー級王者となり、リング誌のFighter of the yearを6度受賞するなど、アマプロ両方で頂点を極めた。
軽快なステップと鋭いジャブ、ファントムパンチを駆使し、蝶のように舞い蜂のように刺すと形容された華麗なヒット&アウェイスタイルを武器に、「スリラー・イン・マニラ」や「キンシャサの奇跡」などに代表される番狂わせと名勝負を繰り広げたボクシング史上最も偉大な男。
プロレスラーであるゴージャス・ジョージがリングインする前に行う「冷やかし」に影響を受けた豊富なボキャブラリーから繰り出されるトラッシュトークは独特な韻を踏んでおり、まだ「ラップ」という言葉ができる前からラッパーだったとされるなどラップの父でもある。今日に至るまでボクシングとヒップホップが切っても切れない関係なのもアリが要因。
「人生はボクシングに似ている。問題は倒れることではなく、立ち上がろうとしないことだ」に代表されるように名言も多い。
日本においては1976年にアントニオ猪木を相手にして行われた異種格闘技戦のイメージが強い。
プロレス興行にも関わらずほとんどのプロレス技が反則になるという異例のルールが定められたこの試合はアリキックからの見合い状態が続き世紀の大凡戦と酷評され、更にはヒザ裏に重度の血栓症を患うなど散々な内容だったものの、試合後は猪木に「ボンバイエ」を授け、猪木の引退試合にパーキンソン病を押して駆けつけたり、2014年には「元祖総合格闘家はモハメド・アリだろ?」とツイートするなど、本人的には思い出深いものだったことが窺える。また、猪木が最後までTwitterでフォローしていたのはアリ一人だけだった。
引退後は激闘で蓄積されたダメージによるパーキンソン病に苦しめられ、長きにわたる闘病生活の末、敗血症ショックにより2016年6月に74歳でこの世を去った。
モハメド・アリとは様々な分野のパイオニアであり、イスラム教への改宗やベトナム戦争での徴兵拒否などで国家を敵に回してまで己が信じる「正義」と「反抗」、そして「勇気」をその行動で如実に示して見せ、人種の枠組みを一人で取っ払ってのけたスーパーヒーローである。
関連動画
関連静画
関連項目
親記事
子記事
- なし
兄弟記事
- 2
- 0pt