概要
第一次世界大戦の戦後処理を行うために、1919年にパリで開かれた講話会議において、日本の全権代表である牧野伸顕大使が議題に提出した提案である。
当時アメリカの日系移民たちが、排日政策によって迫害されていたことに胸を痛めていた日本は、この問題を穏便に解決するため講和会議の場においてこの議案を提出した。 これに対し植民地を数多く有していたイギリスや白豪主義をとっていたオーストラリアなどは猛反発し、議長国のアメリカには白人を中心とした世界秩序を混乱させる危険思想だと受け取られてしまう。
しかし、会議に参加した多くの国々はこの提案に賛成し、採決では賛成多数で各国から正当な主張とされ可決されるかに思われたが、議長であったアメリカのトーマス・ウィルソン大統領はそれまで多数決で決めてきたにも関わらずこの提案だけを全会一致しなかったことを理由に不採決と宣言し、牧野大使はこれに怒り詰め寄ったが聞き入れられなかった。
国際政治の舞台で人種の平等の確立が訴えられたのは日本によるこの提案が世界初であり、日本の主張は欧米諸国による惨たらしい人種差別にあえいでいた有色人種民族や、植民地支配国の人々から絶賛された。
ある日、牧野がホテルから出かけようとすると、アフリカのリベリアに住むという黒人の人物が牧野に近づき
会議では、人種問題で非常に御奮闘下さって、ありがとうございます。私たちアフリカの黒人は、白人のもとで大変苦しめられております。ぜひしっかりやって下さって、なんとしてでも人種の平等を成立させてください。我々は心から応援します
と話しかけられた。牧野は「わかりました。 日本としても全力を尽くすつもりです」と答えた。その後しばらくすると、今度はアイルランド人の女性が牧野を呼び止め、
私の国は、昔からイギリスにひどい目に遭っています。どうか我々の苦しい境遇をお察しくださり、演説をお願いします。日本が、人種差別撤廃法案を会議に出してくれたことを本当に感謝しています。どうか頑張ってください
と話しかけられた。それに対し牧野は「わかりました。我々を応援してください」と答えたという。
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