主な31の妖精たち
沼の妖精
池の妖精
木の妖精
火の妖精
土の妖精
陸の妖精
湿地の妖精
穀物の妖精
稲の妖精
石の妖精
妖精神宮の歴史
- 1810年、湯上野阿判(ゆがみのあはん:1758-1814)が妖精の地として、米倉備里(よねくらなりさと:1779?-1845)の許可を得て、小規模の神社を創建する。
- 1857年、須加留尖閣(すかるせんかく:1823-1905)がゲイの妖精とノンケの妖精を奉納、既存の9の妖精と騒乱を起こす。
- 1865年、妖精戦争により、運営に行き詰った阿判の孫・湯上野迎馬(ゆがみのげいば:1813-1869)は主君の米倉家から藩主・米倉十山(よねくらとうざん:?-1872)の四男・著論(よねくらちょろん:1839-1917)を「森の妖精」として出迎える。
- 1912年、明治天皇崩御により、森の妖精が国家転覆を企てているという大ギャアッー!事件に巻き込まれ掘られ、5年後に獄死する。「森の妖精」の名誉称号は著論の子・熱(よねくらあっー:1875-1947)が継いだ。ここから政府の本格的監視が始まる。
- 1944年、第二次世界大戦が激しくなり、新日暮里地区にも苦しい戦況の中、「全てを司る妖精王」に知々羅宇(ちちらう:1905-1947)が就任するが、知々爛々流(ちちらんらんる:1898-1967)により占拠され、妖精神宮は本格的な暗黒時代へと突入していく。
- 1947年、森の妖精と妖精王にいた2人が掘られて殺害されているのを神官に発見される。妖精神宮は完全に衰退し、本格的廃墟へと爆走する。
- 1967年、知々爛々流の死亡により、どこの馬ともしれない妖精たちが迷い込み、その数を810を数えた。
- 1996年、廃墟と化していた妖精神宮を神官・細井鎮陳(ほそいちんちん:1949-2007)が30年間支えていた功績が認められ、ゲイバーの設置を認められ、米倉家から新たな森の妖精が派遣される。
- 2004年、妖精神宮の再建策の条件として、数万の妖精の受け入れ、主な31の妖精の合議制を開く事の承認を迫り、これを許可した。
- 2008年、「森の妖精」にビリー・ヘリントン、「妖精王」にチ・チ・ラルーが正式に就任。妖精神宮は完全復活となる。
詳細
シンボルは主な31の妖精として、妖精王を意味する大鳥居と30の鳥居である。
社殿の数も主な31の妖精それぞれ専用の社殿を含めて実に45もある。
敷地内に新日暮里本線の妖精神宮駅があるという、駅・神社と共に珍しいものである。
幻の32番目の妖精
元々は31の妖精の中には炎の妖精が入っていたが、妖精王の逆鱗に触れて、主な31の妖精から除外され、外様妖精衆の筆頭として存在感を発揮している。
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関連項目
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