朝青龍明徳(あさしょうりゅう あきのり)とは、元大相撲の力士で第68代横綱である。
甥に大相撲力士で第74代横綱の豊昇龍智勝がいる。
概要
明徳義塾高等学校卒業で、この明徳義塾が「明徳」という名の由来。また、その明徳義塾の校舎の隣には四国八十八ヶ所の一つである青龍寺(しょうりゅうじ)があり、学生時代の朝青龍はここの石段でトレーニングを積んでいたのが四股名の由来となっている。平成中期の相撲界を一人で背負ってきた大横綱。
圧倒的に強いだけでなく、荒々しくも迫力満点の取り口や、土俵上での熱のこもった一挙手一投足で観客を大いに沸かせている。また流暢な日本語で、インタビューやバラエティ番組でも人々を楽しませた。現役時代には多くのCMにも出演した。詰襟の学生服を着たファン太郎などは覚えている人も多いだろう。
時に土俵上で熱くなりすぎたり、マスコミに吐いたとされる暴言を大々的に報道されており、横綱審議委員会という、誰でも出来る組織の会員からの評判も芳しくない。
ただし、マスコミは基本的に悪役としての朝青龍を求めており、にわか番記者の質問は大抵誘導尋問である。
とりわけ、後輩横綱の白鵬昇進後はさながらベビーフェイスの白鵬とヒールの朝青龍という扱いが定着した。本当の素顔は簡単に言えば江戸っ子気質で、口が悪くて喧嘩っ早いが人情家という性格らしい。
行司の中でも結びの一番を裁く最高位の木村庄之助というものがいるが、定年を迎えて最後の一番を裁いた後に、花道で待ち構えた横綱から花束と手にしたばかりの懸賞金の一部が餞別として贈られるという習慣がある。これを始めたのは朝青龍である。この他にもとにかく恩人には義理堅い。入門時に面倒を見てもらったと言う20歳年上の力士一ノ矢には頭が上がらなかったらしく、横綱時代も大先輩として一目置いていたらしい。この他、長年髷を結ってもらった床山の停年を労って優勝パレードのオープンカーに乗せていた。
2010年初場所後、引退を発表した。引退後はモンゴルに帰り実業家として活動している。時々来日しては国技館で相撲観戦をしたり、日本のTV番組に出演したりと日本との縁は切れたわけではなく、そのたびにワイドショーやニュースを賑わせている。
主な記録
- 通算成績 669勝173敗76休
- 幕内成績 596勝153敗76休
- 横綱成績 463勝91敗76休
- 横綱勝率 83.6%
- 幕内在位 55場所
- 横綱在位 42場所
- 優勝 25回(歴代4位)
- 全勝優勝 5(歴代5位)
- 年6場所完全制覇(2005年に達成、史上初)
- 年間最多勝 5回
- 連勝 35(歴代5位)
関連動画
関連項目
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