浅田真央とは、日本が誇るトップフィギュアスケート選手であった。姉は同じ元フィギュアスケート選手の浅田舞。
概要
2002年に小学6年生にして全日本選手権に出場し天才少女と呼ばれ、ジュニアの大会を総なめにする。シニアデビュー以降も華々しい成績を挙げ、2008年世界選手権で日本人5人目の優勝を果たした。
2005-6シーズンではGPファイナル優勝、全日本選手権2位などトップクラスの好成績を残し、その実績からトリノオリンピック出場を期待されたが、年齢制限規定により出場は叶わなかった(このことは時の総理であった小泉純一郎氏が「出場すべき」と発言するなど世間ではやや物議を醸した)。
2010年カナダで開催されたバンクーバーオリンピックでは伊藤みどりに続き史上2人目の3A成功、女子フィギュアSP・FS通じて3A(トリプルアクセル)3回成功という五輪史上初の快挙を成し遂げ、見事銀メダルを獲得した。
2010年3月にイタリアのトリノで開催されたフィギュアスケート世界選手権では再び3A3回成功という離れ業をやってのけたのを含め、完璧な演技によりライバルのキム・ヨナをはじめ世界の強豪相手に見事勝利。観客から大歓声を受け、女子フィギュア世界王者に輝いた。またこれにより男子の高橋大輔と共に男女アベック優勝を果たす事となった。(合計197.58点で2年ぶり2度目の世界選手権制覇)
オリンピック&世界選手権での3A(トリプルアクセル)三度達成の偉業により、「浅田トリプルアクセル」としてギネスブックに登録がなされた。
2010-2011シーズンは、佐藤信夫コーチの元でジャンプ、スケーティングの修正に取り組む。そして、苦手とするルッツ、サルコウジャンプをプログラムに入れ、6種7トリプルの構成に挑戦する。
そのため、NHK杯8位、フランス杯5位となるが、全日本選手権で2位につけ、復調の兆しを見せた。四大陸選手権では、以前よりも高難易度の後半に2A-3Tを入れ、振り付けを大幅に変えたプログラムで2位になり、完全に復活した。
2012-2013シーズンは中国とNHK杯のGPシリーズ2連勝、ソチオリンピックの会場で行われたファイナルでは4年ぶり3度目の優勝を果たした。全日本選手権でも2度目の2連覇と6度目の優勝を果たし、世界選手権と四大陸選手権の代表に選出された。四大陸選手権では、SPで冒頭のトリプルアクセルを成功させ、2010年のバンクーバー五輪以来の200点越えとなる総合205.45点で3年ぶり3度目の優勝を飾った。
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