高橋尚子(Qちゃん)とは、日本の元陸上競技選手で、女子マラソンの元世界記録保持者である。
現在はスポーツキャスターやマラソン解説者として活躍中。
Qちゃんの概要
元々中長距離選手で、本格的にマラソンランナーとして取り組むまでは主に5000m等をメインとする選手だった。
1997年の世界陸上では女子5000mの日本代表として出場している。
翌年の名古屋国際女子マラソンで当時の日本最高記録をマークしてから、一躍マラソンランナーとしての高橋尚子の名が日本中に知れ渡るようになる。また、同年の国際グランプリでは日本女子選手としては初めての5000m優勝を果たすが、以降はマラソンを主体として活動する。
シドニーオリンピックでの金メダル獲得や、その1年後には当時の女子マラソン世界最高記録を樹立するなど、日本スポーツ史に大きな足跡を残した。
"Qちゃん"の由来
シドニーオリンピック代表に選ばれ、メディアにも出るようになってからは「Qちゃん」の愛称で知られるようになる。
この愛称の由来は、リクルート在籍時代に新入部員歓迎会においてアルミホイルを使ったボディコン風の衣装を着て『オバケのQ太郎』の歌を歌い盛り上がったことに由来する。
元々は関係者内での愛称だったが、先の説明通り、メディアに取り上げられる際に小出監督等から「Qちゃん」と呼ばれているのが知られるようになり、いつしか国民的な愛称となった。
ちなみに、海外の大会にも出場している事から次第に世界での認知度も高まり、海外でも「Qちゃん」として知られているのかと思いきや「スシ・ターボ」と云う意味不明な愛称を付けられていたりする。
「すごく楽しい、42キロでした」
シドニーオリンピックではルーマニア代表のリディア・シモン選手との激しいデッドヒートの末、見事2時間23分14の記録で優勝を果たす。これは16年ぶりのオリンピック大会新記録であり、陸上競技史上日本女子初の金メダルと快挙尽くしのレースだった。
後半のスパート直前にサングラスを沿道にいた父親に投げて遣したり、ゴール時には満面の笑顔でフィニッシュを決めたりと、スポーツ名場面に選ばれてもおかしく無い印象の残るレースだった。
また、優勝後のインタビューで「すごく楽しい、42キロでした」と云う名言を残す。フルマラソンの過酷さを考えれば、レース後直ぐの発言とは思えない言葉だが、この一言で彼女がどれだけ苦しい練習に耐え、試合を心から楽しんで挑んでいたかが伺える。
これら一連の彼女の大活躍の影響で、日本国内のマラソンランナー人口が約200万人も増えたと云う話もある。
Qちゃんマジぱねぇ。
他にも、女子アスリートとしては初の国民栄誉賞を受賞したり、この活躍を題材としたゲームが発売されるなど、多方面で大きな影響を与えた。
Qちゃんの所属先
陸上競技選手は、ミズノやアシックス等と言った大手メーカーや、陸上競技に力を入れている企業と専属契約する事が殆どだが、諸事情の関係で所属を点々とする選手も珍しくは無い(場合によっては1,2年で移籍する事もある)。
Qちゃんもその一人で、当初は当時日本トップレベルの選手が揃って在籍していたリクルートに入社するも、小出監督が積水化学に移籍するのと併せてチーム総出で積水化学に移籍する。
(ちなみにシドニーオリンピックでの活躍はこの積水化学在籍の活躍である)
更に小出監督が積水化学を退社するが、小出監督の指導を望んだQちゃんも併せて退社し、スカイネットアジア航空に籍を移す。しかし2年後には小出監督からの独立を表明し、今度はファイテンと4年間の専属契約を結び、同社の陸上部とは別に「チームQ」と云うチームを発足させる。
そして、ファイテンとの専属契約が切れる年に現役を引退する。引退後は冒頭にも挙げた通りスポーツキャスターやマラソン解説者等の活躍を見せる他に、チャリティ活動も行っており、その活動の一環として再び走っていたりする。
余談
母校の県立岐阜商業高校の同級生で、プロ野球選手の和田一浩、先輩には高木守道がおり、併せて「ビッグ3」と呼ばれている。普段はまず会う事も無いらしいが、過去に3人が集まってトークショーが行われた事がある。
血縁関係などでは、母のはとこにノーベル賞受賞者の白川英樹、遠縁に元モー娘。の吉澤ひとみが居る。
ただし吉澤ひとみに関しては余りにも遠縁の為、実際は特に関係はない。
ちなみに関係を言うと「吉澤ひとみの祖父の弟の妻の弟の妻のいとこの娘がQちゃん」との事。
わけがわからないよ。
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関連項目
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