第百一号輸送艦…えっと、そうだ。二等輸送艦のほうが
わかりやすいよね?一番艦、第百一号輸送艦です!
戦時急造ですが、私結構よくできてますよ。はい!
第百一号輸送艦とは、いわゆる「戦車揚陸艦」として計画・建造されたSB艇(二等輸送艦)の1番艦をモチーフとした艦娘である。図鑑番号No.545。
概要
第百一号輸送艦は2023年3月1日作戦開始の期間限定海域「絶対防衛線!「小笠原兵団」救援」最終海域突破報酬艦として2023年3月20日のオンメンテにて実装された。
見た目は吹雪型姉妹に似たセーラー服(ただし地色は薄い”国防色”)で、磯波のようにおさげ髪。腹部に実艦の特徴でもある艦首渡し板を装備。右手には宗谷と同じく、旧日本陸軍の十四年式拳銃を模したデザインの8cm高角砲を右手に持っている。
戦車揚陸艦のため、今回のイベントで実装された陸戦部隊系装備[1]を装備可能。また、陸上型深海棲艦を優先して攻撃する特性を持ち、陸戦部隊を装備していると当該陸上型敵艦に自分自身が接近してHPゲージが倒れ、陸戦部隊が上陸して陸上型敵艦を攻撃する特殊エフェクトが発生する。
自称は概ね「第百一号輸送艦」だが、一定の場面では「百一」をもじって「ももち」と呼んで欲しいと言ってくる。セリフでは今回のイベントモチーフとして硫黄島への強行輸送を申してでくれるが、残念ながら彼女自身の艦歴において硫黄島へ向かうことはなかった。むしろ、関係が深い艦娘としては第1次多号作戦の僚艦である青葉・鬼怒・浦波になるだろうか。
史実概略
ガ島での戦訓を受け陸上戦力揚陸用に用いる艦艇として陸海軍共同で計画建造された”戦車揚陸艦”。このうち海軍所属で2等輸送艦のトップナンバーが彼女、第百一号輸送艦である。
第百一号輸送艦は1943年(昭和18年)12月1日、大阪造船所(現在の「株式会社ダイゾー」)にて起工、1944年(昭和19年)1月25日進水、2月5日命名発令、3月8日竣工。呉鎮守府所管となる。
5月28日、第百二号輸送艦とともにタマ20船団に加入して高雄を出発。以後、南西方面での輸送任務に従事した。9月5日、2等輸送艦、第百一号型輸送艦の等級分類が新設され、晴れて2等輸送艦・第百一号型の1番艦となる。
第1次多号作戦(鈴2号作戦)に青葉・鬼怒・浦波、第6号・第9号・第10号・第102号各輸送艦と共に作戦に従事したが、第1次輸送で青葉が損傷し鬼怒の曳航でマニラに送致、続く作戦中鬼怒・浦波が戦没し、第10号らに救助されマニラに帰投、第百一号と第百二号は続く第2次輸送のため101号はボボール島タガビラランからオムロックに向かい揚陸には成功したものの約80機からなる敵航空機からの攻撃により1944年(昭和19年)10月28日戦没した。同年12月10日除籍。
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関連項目
脚注
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