- プロ野球選手一覧 > 箱田淳
概要
| OB | |
|---|---|
| 箱田淳 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 広島県福山市 |
| 生年月日 | 1932年2月1日 |
| 没年月日 | 2021年2月18日 |
| 身長 体重 |
175cm 63kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手、投手 |
| プロ入り | 1951年 |
| 引退 | 1964年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
盈進商業高等学校に進学。速球派の投手として鳴らしていたが、在学3年間で甲子園大会には手が届かなかった。
1952年、主にリリーフ投手として22試合に登板して、1勝を挙げ、防御率は2.08を記録。
1953年、先発投手としても起用され、完封勝利を含む3勝を挙げた。
1954年、箱田自身から監督に申し出て、打者に転向。同年、セカンドのレギュラーに定着すると、セ・リーグ4位の打率.323を記録し、ベストナインに選出された。なお、国鉄球団創設以来初の3割打者であった。
1955年は低迷したが、1956年は10本塁打を記録し、オールスターゲームにも初出場を果たし、同年から1958年にかけて3年連続で出場している。
その後もセカンドやサードのレギュラーとして、国鉄打線の中軸として活躍を続け、1960年には16本塁打、57打点と本塁打・打点の2部門でキャリアハイの成績を残した。
大洋ではレギュラーではなかったものの、代打や内野のユーテリティープレイヤーとして重宝され、1963年には打率.272、5本塁打、20打点を記録してる。
引退後は解説者として活動。また、国鉄・サンケイ・ヤクルト系と複数存在していたOB会を統合した「スワローズOB会」を発足させ、高齢ながらOB会を通じて少年野球の指導も行っていた。
人物・エピソード
星見の体格ながら、リストの強さを生かした打撃と、堅実な守備で活躍した国鉄草創期の中心打者。変化球内を得意としていた。
通算成績
打撃成績
| 通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1279 | 4069 | 3807 | 389 | 993 | 80 | 364 | 95 | 38 | 24 | 188 | 12 | 330 | 104 | .261 | .296 |
投手成績
| 通算:3年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 61 | 3 | 1 | 4 | 10 | --- | --- | .286 | 187.2 | 87 | 61 | 110 | 80 | 3.84 |
獲得タイトル・表彰・記録
関連項目
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