腐った納屋とは
本記事では2について説明する。
概要
1941年にソ連への侵攻計画であるバルバロッサ作戦を計画していた、ナチス・ドイツの総統であるヒトラーが、ルントシュテット元帥(南方軍集団司令官)に対して言った言葉とされている。
原語(ドイツ語)では「Sie müssen nur die Tür einschlagen, dann wird die ganze verrottete Struktur zusammenbrechen」といい、日本語に訳すと「ドアを壊すだけで、腐った納屋ごと倒壊する」といった意味合いになる。納屋とは、作戦の対象であるソ連を指している。
納屋以外にも土台とか、構造物とか色々な訳がみられるが、とにかくニュアンスとしては「ソ連なんかワンパン(キック)で潰せる」といったところだろう。日本語としては納屋という訳が一番見られるため、記事名ではこれを採用した。
バルバロッサ作戦そのものは奇襲という目的では成功はしたが、その後の結果はお察しください。
現在では主にプーチンがウクライナに対して侵攻前に思っていた心象としてたまに使われることがある。まあもっとも、ロシアはナチスと違って初手から大ゴケしているのだが……。
背景
元々ヒトラーはユダヤ人以外にも、とりわけ東方に所在するスラブ人やロシア人などに対して激しい差別感情を抱いており、また、それらの国に対する優越性を主張し、東方生存圏としてそれらの地域へドイツ人の領域を拡張する事を考えていた。
だが、オーストリア併合やチェコスロバキア解体などで英仏など西欧諸国との対立を深めるヒトラーは、それらへの対処を優先して、1939年8月に世界を驚天動地させた独ソ不可侵条約を締結した。
そこから約2年にわたって独ソ間は(表向き)協調関係を保っていたが、ポーランドとフランスを叩き伏せたヒトラーは、次なる英国への侵攻に行き詰まり、かねてより計画を進めていたバルバロッサ作戦、いわゆるソ連侵攻の準備を本格的に進めることにした。
作戦の立案は、目標都市や兵站などをめぐって対立が起きながらも、着々と実行に向けて進められていった。そんなヒトラーの中に芽生えたヒトラーの心情を表したのが、「ドアを蹴れば腐った納屋は崩壊する」という言葉であった。
この裏には、1939年11月から40年3月にかけて行われた冬戦争におけるフィンランドに大苦戦したソ連(赤軍)への侮りがあった。しかし実際にはソ連はスターリンと国防人民委員(国防大臣)のチモシェンコの下で指揮系統や兵器などの大幅な改革を実行し、二度と同じ過ちを繰り返さないようリカバリーを必死に行っていた。
しかし、冬戦争から1年と少しという短期間では間に合わず、バルバロッサ作戦の当初では(最後の最後までドイツの奇襲を信じなかったスターリンのせいもあるが)大敗北を喫してドアを蹴破ることを許してしまったが、それでも41年の冬にはモスクワに迫ったドイツ軍を叩き返すなど、納屋を壊される事態だけはすんでのところで避けることに成功した。
関連項目
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