ブラドレ―(Bradley)とは、1872年生まれのアメリカの競走馬、日本の種牡馬である。芦毛の牡馬。
生産地:カリフォルニア
1875年:カリフォルニアダービー、サンフォード・クラブ・スイープステークス
父ノーフォークは米国で16回チャンピオンサイヤーに輝いた盲目の大種牡馬レキシントンの産駒、1864年のジャージーダービー勝ち馬で生涯無敗だったらしい。母マーガレッタはライバルルコントに勝利するも失明し種牡馬入りして米国で16回チャンピオンサイヤーとなったレキシントンの産駒。要するにブラドレ―はレキシントンの2x2です。
当馬は1877年(明治10年に)日本に輸入され日本の馬産界に大きな影響を与えた。
ブラドレ―はアメリカで4歳から6歳まで走り、15戦4勝[4-1-4-6]の成績を挙げるも飽和血統でインブリードがきついこともあって米国で種牡馬入りできず、1877年に洋種馬24頭のうちの1頭として日本に輸入され下総御料牧場の前身下総種畜場で種牡馬となった。
1880年には我が国初の内国産サラブレッドとされる第二ゼシーフォールド(母ゼシーフォールド、母父ノーフォーク)の父となる。いきなりノーフォークの2x2だよ。1886年には第三ウォールダンスベリー(母ウォールダンスベリー、母父ウォールダンス)こっちはレキシントンの3x3x3が生まれ、ブラドレ―は同年に死亡した。
この第三ウォールダンスベリーが1890年に英国産種牡馬スプーネーとの間に第二スプーネーを産む。この第二スプーネーが濠サラのミラと結ばれてシノリ(1904年生)、第二ミラ(1911年生)、第三ミラ(1912年生)が生まれる。つまり、後世に活躍したミラ系の馬はブラドレ―の子孫という事になるのである。
1932年(昭和7年)にワカタカが初代ダービー馬として日本一の馬となった。当然この馬は皆の研究の対象となり、調教師はその科学的調教方に刮目し、生産者はその血統を参考にする。
その結果何故かユートピア牧場で姉x弟でミラユートピア(1936年生、7戦0勝)、母x息子でマイユートピア(1937年生、14戦0勝)という未勝利馬達が爆誕。さらに、社台牧場も1937年に第二ワイルドヘアを父ポリグノータスと交配させて不受胎となっている。
これらの不可解な近親交配の試みは生産者がワカタカの血統表にいる我が国サラブレット生産の太祖にして英国初代ダービー馬の子孫であるブラドレ―に影響を受けたものと筆者は疑っているのだがどうだろうか。まあ、単にトチ狂っただけかもしれないが…
| Norfolk 1881 鹿毛 |
Lexington 1850 鹿毛 |
Boston | Timoleon |
| Sister to Tuckahoe | |||
| Alice Cameal | Sarpedon | ||
| Rowena | |||
| Novice 1853 鹿毛 |
Glencoe | Sultan | |
| Trampoline | |||
| Chloe Anderson | Rodolph | ||
| Belle Anderson | |||
| Margretta 1856 芦毛 |
Lexington 1850 鹿毛 |
Boston | Timoleon |
| Sister to Tuckahoe | |||
| Alice Cameal | Sarpedon | ||
| Rowena | |||
| Eleanor Margrave 1846 芦毛 |
Margrave | Muley | |
| Election Mare | |||
| Fanny Wright | Silverheels | ||
| Aurora | |||
| 競走馬の4代血統表 | |||
クロス:Lexington 2x2(50%)、Pandora 5x5(6.25%)
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最終更新:2025/12/05(金) 17:00
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