リグレット(Regret)とは、1912年生まれのアメリカの競走馬・繁殖牝馬である。
牝馬として初めてケンタッキーダービーを勝利した馬であると同時に、その勝利がケンタッキーダービーの現在の地位の礎を築いたともされる名牝。
父は1904年のトラヴァーズSの勝ち馬で種牡馬としては3年連続(1913~15年)の北米リーディングサイアー獲得などの活躍を挙げたBroomstick、母は1884年のケンタッキーオークス馬Modestyの孫に当たる血統のJersey Lightning、母父は2歳にして130ポンド以上で3勝した実績も残る21戦16勝のHamburgという血統である。
本馬はニュージャージー州にブルックデイルファームを所有していたオーナーブリーダー、ハリー・ペイン・ホイットニーによって生産されたが、牡馬を期待していたのに牝馬が産まれたという理由で「遺憾、後悔」という意味の馬名を与えられた。もっとも残念がられたのは「牝馬が産まれた」ということだけであり、ホイットニーも本馬を預かったサー・ジェームズ・ロウ師も本馬への評価は低くなかった。
本馬のデビュー戦は、当時の主要な2歳戦の一つだった8月8日のサラトガスペシャルS(6ハロン)となった。出走8頭中牝馬はリグレットのみだったが、この年ステークス競走5勝を挙げることになる牡馬Pebblesを相手にレコードタイで逃げ切り、あっさりとデビュー勝ちを収めた。
続けて、こちらも当時は主要な2歳戦の立ち位置だった8月15日のサンフォード記念S(6ハロン)に出走。127ポンド(≒57.6kg)という2歳夏の牝馬としては厳しい斤量を背負ったが、それでもゴール前で主戦騎手のジョー・ノッター騎手が全く追わないほどの余裕を見せて1馬身半差で勝利した。
更に続けて8月22日のホープフルSに出走。このレースでは道悪に足を取られたこともあり道中スムーズさを欠くところもあったが、前走同様127ポンドを背負いながら114ポンド(≒51.7kg)のAndrew M.に半馬身差をつけて勝利した。当時のサラトガにおける主要な2歳戦を総ナメにした本馬はそのまま休養入りし、2歳時は3戦3勝となった。
これまでの3戦はいずれも6ハロン戦だったが、3歳時は初戦にいきなり10ハロンへの距離延長となるケンタッキーダービーを選択した。ロウ師とノッター騎手が帯同して列車で遠征した本馬だったが、輸送の反動でレース3日前になっても調教タイムは芳しくなく、ロウ師が出走を迷うほどだったという。
しかしそれでも、Pebblesなどを抑えて1番人気に推されたRegretは、スタートから先頭を走り続けてそのまま2馬身差で逃げ切り優勝した。ケンタッキーダービーを牝馬が勝つのは史上初で、この後には1980年のGenuine Riskを待たなければならなかった。
ニューヨーク州を拠点としていた本馬が当時は重労働である遠征を厭わずケンタッキーダービーに出走し、更には勝利したという点は、この頃まだ抜きん出た価値を持っていたわけではなく、遠征を嫌って出走しない陣営も少なくなかったケンタッキーダービーが現在のような全国規模の大レースに成長することに大きく貢献したとされている。
さて、本馬はケンタッキーダービーの後に呼吸器疾患を発症したため、しばらく休養して8月17日の地元サラトガのサラナクH(1マイル)から復帰した。ここではトラヴァーズSで1位入線しながら最下位降着となったTrial by Jury、そのトラヴァーズSで繰り上がって勝ち馬となった牝馬Lady Rotha、ベルモントSの勝ち馬The Finnといった相手に逃げ切り勝ちを収めた。3歳時はこの2戦のみだった。
4歳時は7月31日のサラトガ競馬場のサラトガH(10ハロン)で復帰したが、逃げ潰れて8頭中8着に終わった。18日後のサラトガ競馬場のアローワンス(1マイル)では1馬身半差で勝利し、4歳時は2戦1勝で終了した。
5歳時は5月31日のベルモントパーク競馬場のアローワンス(5.5ハロン)で始動し、ここを8馬身差で圧勝。続く6月25日のアケダクト競馬場のブルックリンH(9ハロン)では、1歳上のケンタッキーダービー馬Old Rosebud、同じく1歳上でトラヴァーズSを勝っているRoamer、この年のケンタッキーダービー馬Omar Khayyamといった好メンバーを相手にすることとなった。このレースでは競りかけてきたOld Rosebudを制して先頭に立つとそのまま粘り込みを図ったが、厩舎・馬主とも同じ僚馬で、イギリスでデビューして1910年のミドルパークプレートなどを勝利した後にアメリカに移籍してきたBorrowにハナ差で敗れ2着となった。
Borrowの鞍上ウィリー・ナップ騎手は後に「リグレットが明らかに勝ちそうなら同馬を差し切ろうとする気は無かったが、Old Rosebudに差されそうになったので負けるわけに行かなくなった」と語っている。
その後、7月10日のガゼルH(8.5ハロン)を129ポンド(≒58.5kg)で勝利し、9月25日のハンデ競走(7ハロン)では2頭立てで対戦相手のIna Frankより18ポンド重い127ポンドを背負いながらコースレコードで3馬身差の完勝を挙げ、これを最後に引退した。通算成績は11戦9勝だった。
繁殖入り後は11頭の仔を産んだが、大レースに勝つような産駒は現れず、1934年4月に22歳で死亡した。孫世代以降からは活躍馬が点々と現れ、21世紀に入っても2005年にブラジルで共和国大統領賞(当時GI、2016年よりGII)を勝利したEyjurが出るなど牝系は維持されている。また、メジロアサマの母父やSalt Lake(アパパネやマイラプソディなどの母父として日本でも有名)の曾祖母の父に名を残すFirst Fiddleは本馬の孫であり、こういった馬を通して本馬の血を(相当薄いとはいえ)引いている馬も数多い。
1957年に米国競馬の殿堂入りを果たしたほか、ブラッド・ホース誌選定「20世紀のアメリカ名馬100選」では71位に選出されている。
Broomstick 1901 鹿毛 |
Ben Brush 1893 鹿毛 |
Bramble | Bonnie Scotland |
Ivy Leaf | |||
Roseville | Reform | ||
Albia | |||
Elf 1893 栗毛 |
Galliard | Galopin | |
Mavis | |||
Sylvabelle | Bend Or | ||
Saint Editha | |||
Jersey Lightning 1905 栗毛 FNo.A1 |
Hamburg 1895 鹿毛 |
Hanover | Hindoo |
Bourbon Belle | |||
Lady Reel | Fellowcraft | ||
Mannie Gray | |||
Daisy F. 1895 栗毛 |
Riley | Longfellow | |
Geneva | |||
Modesty | War Dance | ||
Ballet | |||
競走馬の4代血統表 |
クロス:Bonnie Scotland 4×5(9.38%)、War Dance 5×4(9.38%)、Australian 5×5(6.25%)、Leamington 5×5(6.25%)
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最終更新:2024/12/23(月) 01:00
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