ロシェ・フレイン・ユグドミレニアとは、小説「Fate/Apocrypha」の登場人物の一人である。
ダーニックが支配するユグドミレニア一族の傘下、人形工学の名家フレイン家の出の癖っ毛の少年。年齢も13歳と今回の聖杯大戦の参加者の中で最年少であり、また小柄であるため年齢よりもやや幼く見える。召喚したサーヴァントは、黒のキャスターことアヴィケブロン。
まだまだ子供と呼べる年齢でありながら、既にゴーレム使いとして名を馳せており、自身が製造した機能に特化したゴーレムに対して相応の自信を持っている。
序列に関心がないため、あのダーニックに対してすらタメ口で話す。もっとも、そのダーニックもロシェのことを高く評価しているため、特に咎めたりはしていないが。
また、自分以上のゴーレムの大家であるアヴィケブロンには尊敬と憧憬の眼差しを向けており、彼のことを「先生」と呼び、慕うと同時に、伝説にまで謳われるほどのゴーレム使いから、その教えを授かっている。これにより、自身のゴーレムが大幅に改良されることに。ただ、自分やアヴィケブロンの生み出したゴーレムの評価が低めなのが不服であるようだが。無論、彼ら二人が生産しているゴーレムが、聖杯大戦におけるユグドミレニア陣営の屋台骨を支えていることは疑いようのない事実である。
ともあれ、二人の間柄はマスターとサーヴァントと言うよりは、むしろ教え子と教師と呼ぶに相応しい。
この部分だけ切り取ると“才能に溢れた、己のサーヴァントと良好な関係を築き上げている少年魔術師”という印象が強いだろうが、あくまでそれは一側面。
というのも、彼の実家であるフレイン家は、子供の養育をゴーレムに任せるという奇矯な教育方針を取っている。その上、刻印移植が可能となる年齢になるまで工房から一歩も出ることはなく、おまけに顔も一度さえ合わすことはない、という異彩ぶり。
結果、ロシェという人物はゴーレムのこと以外(人間同士の交流など)に興味関心を持てない人間として成長してしまった。それは、自分を育ててくれたゴーレムの形状は覚えているのに、両親の顔は覚えていない程のもの。おまけに、自分の命と引き換えに一人のホムンクルスを救った黒のセイバー、ジークフリートの行為を「馬鹿馬鹿しい」の言葉で片付けたり(ただし、他にも似たような見解を持っている者が何人かいる)、ホムンクルスも単なる実験材料としてしか見ていない(なお、とある実験にてたまたま選び出されたホムンクルスが、後のジーク。ある意味では、彼の運命を動かしたとも言えなくもない)など、その性格の片鱗を垣間見ることができる。
また、アヴィケブロンとの間柄についても、同じく主従関係というよりは教師と教え子なケイローンとフィオレに比べれば、若干盲信じみたものである。
とはいえ、彼のアヴィケブロンに向ける敬愛は本物であり、この時ばかりは歳相応の少年に相応しい表情と言動を見せる。このためか、聖杯大戦もアヴィケブロンから教えを受けるのに邪魔なイベントという認識でしかなくなってしまう。だが、当初は聖杯に懸ける願望など持ち合わせていなかったロシェだが、もっとアヴィケブロンの指導を受けたいと願うようになり、次第に“アヴィケブロンの受肉”という願いを抱くようになる。
何にしても、ロシェとアヴィケブロンのやり取りがどこか微笑ましい光景であることに変わりはない。第一巻の時点で不穏な文章が綴られているけれども、気にしない。
両陣営による総力戦もシロウ・コトミネによる大聖杯強奪という顛末を迎え、ダーニックを失ったユグドミレニア陣営も敗色濃厚となる中、アヴィケブロンは大人しく降伏を申し出ると同時に、ユグドミレニアを裏切りシロウのサーヴァントとなる。ただし、その際には相手方に、元マスターであり愛弟子とも呼ぶべきロシェには手出ししないという条件を提示。そして受け入れられる。
ロシェはそれらの経緯を知らないまま、アヴィケブロンの宝具の起動に用いる炉心を持って彼と合流。
しかし、アヴィケブロンがシロウにロシェの助命を願い出たのは、断じて彼の身を案じてのことではない。ロシェこそが宝具“王冠:叡智の光(ゴーレム・ケテルマルクト)”の炉心に相応しい魔術師であるから。それ以外の理由などない。
確かに、アヴィケブロンはロシェとの交流に心地よいものを感じていた。だが、それだけであり、決して己の目的と引換えにするほどの価値などなかった。また、ロシェもロシェで、アヴィケブロンのゴーレム使いという一面以外の側面に決して目を向けようとしてこなかったことも、この顛末の原因となってしまっている。
そうして、ロシェは尊敬していた師とも呼ぶべき人物に裏切られ、絶望し、半ば恐慌しながら炉心として取り込まれ、そしてその存在は消滅してしまった。
その間際に、アヴィケブロンへの敬愛の念そのままに、彼への皮肉な疑問を浮かべて・・・・
おそらく、その末路は作中でもトップクラスの後味の悪さとなっている。
また“相性がいいようで実は擦れ違っている”という関係性は“ZERO”における雨生龍之介とキャスターことジル・ド・レェを彷彿とさせるものであり、ある意味では彼ら二人が辿っていたかもしれない結末、と言える。
救いがあるとすれば、彼を裏切ったアヴィケブロンがそのことに罪悪感を覚えており、結果として自らも自身の宝具に取り込まれたこと。そして、彼の作ったゴーレムが最終決戦突入の際にも有効に運用されていたことだろうか。
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最終更新:2025/12/15(月) 03:00
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