ロブ・デューシー(Robert Thomas "Rob" Ducey)とは、元プロ野球選手である。
OB | |
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ロブ・デューシー Rob Ducey |
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基本情報 | |
国籍 | カナダ |
出身地 | オンタリオ州 |
生年月日 | 1965年5月24日 |
身長 体重 |
188cm 81kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投左打 |
守備位置 | 外野手 |
プロ入り | 1984年 |
引退 | 2002年 |
経歴 | |
選手歴
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プロ野球選手テンプレート |
1965年5月24日生まれ。カナダ・オンタリオ州トロント出身。
1987年、ブルージェイズからメジャーデビューを果たし、同チーム初の地元出身の選手となった。同年は34試合に出場。以降はメジャーに定着することができず、1992年シーズン途中にカリフォルニア・エンゼルスへ移籍。1993年にはテキサス・レンジャーズへと移籍している。
1995年、強打の外野手を求めていた日本ハムファイターズに入団。
初年度の1995年、開幕戦でいきなり2本塁打を放つと、その後も1番レフトとして長打を量産。117試合に出場して、打率.249、25本塁打、61打点を記録。一方で、2試合連続で乱闘騒ぎを起こして2日連続で退場処分を下されるなど、カッとなりやすい面があり、低打率であったことから退団が濃厚であったが、代わりとなる助っ人外国人選手が見つからず、本人が「もう手は出さない」と誓ったこともあり、1年契約延長が決まった。
1996年、前年同様1番レフトとして起用され、パ・リーグトップの86四球を得て、出塁率.373、打率.246、26本塁打、59打点という成績を残した他、8本の先頭打者本塁打も記録。ただ、低打率は改善できなかったため、同年限りで日本ハムを退団。
1997年、シアトル・マリナーズと契約。76試合に出場して、打率.287とまずまずの成績を残し準レギュラーとして活躍。
以降も準レギュラー格として活躍を続け、1999年、フィラデルフィア・フィリーズへ移籍。その後はブルージェイズ、フィリーズ、モントリオール・エクスポズと渡り歩いた。
エクスポズ退団後、独立リーグノーザンリーグのアディロンダック・ランバージャックスでプレーした後、現役引退。
その後はマイナーリーグでコーチを務めていたが、2004年のアテネオリンピックにはカナダ代表の選手として現役復帰。出場国の中で最年長の選手であり、日本戦でも代打で出場している。
以降はマイナーリーグでコーチを務めたり、タンパベイ・レイズでスカウトを務めた。
2020年、台湾プロ野球の富邦ガーディアンズの打撃コーチを務めた。
パワフルな打撃や選球眼の良さに加え、俊足を武器に活躍したスラッガー。俊足ではあったが、盗塁数は少なかった。
1番打者ながら本塁打を量産したことから「恐怖の1番打者」として恐れられた。
1995年シーズンは3度退場処分を受けるなど、気の短さが目立ったが、1996年シーズンは誓約通り乱闘騒ぎを起こさなかった。
通算:15年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
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MLB:13年 | 703 | 1478 | 1279 | 190 | 309 | 31 | 146 | 22 | 8 | 14 | 166 | 11 | 346 | 16 | .242 | .331 |
NPB:2年 | 237 | 1009 | 852 | 129 | 211 | 51 | 120 | 10 | 2 | 6 | 140 | 9 | 193 | 8 | .248 | .357 |
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最終更新:2024/12/22(日) 00:00
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