三豊百貨店崩壊事故 単語

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サンプンヒャッカテンホウカイジコ

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三豊(サンプン)百貨店崩壊事故とは、韓国の安全不感症を徴する事件である。

概要

1995年6月29日韓国ソウルで起きた建物崩壊事故
この百貨店1989年12月1日に開店したが、それからわずか6年半でA棟が跡形もなく崩壊し、死者・行方不明者508名、負傷者937名という、韓国では朝鮮戦争を除く最大の死傷者数を出した事件、建造物崩壊事故としては2013年バングラデシュ1134人の死者を出したラナ・プラザ崩壊事故発生まで最大の死傷者を出した大惨事となった。その一方で発生から17日というどうあがいても絶望の状況下から救出された生還者も存在する。
あまりの崩壊までの短さに当時の大統領の金泳三をして「工からたった6年で崩壊する建物があるか」と呆れ果てたほどであった。

そして直ちに事故調が開始されたが、その結果は、あの姉歯がかわいく見えるほどの手抜き工事・法律違反のオンパレードだった・・・

原因

無理な設計変更

元々この建物会社である三豊建設産業が開発したニュータウンに地上・地下共に4階建ての雑居ビルとして建設予定だった。ところが基礎工事が終わった段階で経営地上に1階建て増しした上で、5階建てのデパートへ用途変更することを決定した。
そのことを施工業者に通達するが、業者は「元々ゴミ処理場として埋め立てられた地盤の緩い土地であり、今になっての設計変更は理だ」と拒否。すると業者は更迭され、三豊建設が直接施工することとなった。
しかし、建物の使用用途の変更に伴う構造変更を行う際には専門の審を受けなくてはならない規定となっていた。ところが、経営これを無視して建設を続行した上、工時の検すら無視していた。その上、この建物を住宅地域に定されていた地区に建設しようとして届工事を理由に行政処分を受けていたにもかかわらず、当局に賄賂を贈って違法に用途を変えさせていた

手抜き工事

この建物は梁を使わないフラットラブ工法で建設されていた。当初の雑居ビルではこれでも問題なかったが、百貨店に変更した際に以下のようなとんでもない改悪を行っていた。

  • 売り場に防火シャッターを設置するために、や柱の1/4を撤去
  • 吹き抜け構造にする際に、周辺の柱を太くしなければいけない所を、見栄えを重視するために逆に3/4に細め、内部の筋の数も減らす
  • セメントの配合率が間違った粗悪なコンクリートを使用(もっとも当時の韓国は建設ラッシュで資材不足に陥っていたため、粗悪なのが出回っていたという事情もある)
  • 床の筋の挿入位置も本来の位置より深い場所に設置し、床の強度を下げる
  • 筋の代わりに石油を詰める
  • 柱と天井の接合部で、筋を曲げない(このため、事故寸前には柱が屋上から突き抜けていたという)
  • 建て増しした5階は基準を満たすためローラスケート場にするはずの所を、当局の認可を得た後不正にレストランに変更
  • 屋上のスラブ厚を6cmから9cmに増加
  • 本来地下に設置するはずだった87tの大冷房装置を地下間を広げるために荷重計算をせずに屋上に設置

以上のような改悪を行った結果、当初予定の柱ですら負荷に耐えられないレベルになっていた。そもそも1フロア分増やした時点で3000tの荷重増になっていたため、こうなることは自明であった。

冷房装置の不適切な移動

事故の2年前の1993年8月、近隣住民からの騒音の苦情を受け、大冷房装置を移動させることになったが、この際本来ならクレーンを使う所を、経費削減のためローラーで牽引して移動した結果屋上裂が進行。その上この冷房を稼働させる度にその振動が裂に伝わり、徐々に建物の破壊を進行させていった

1994年には当局に断で地下売場の増設工事を行い、これがさらに建物の強度を低め、この時点でようやく当局から違法建築認定されている。
同じ年には大書店も開業していたが、書籍の重みでさらに荷重が増え、既にB棟にまで裂が入り1995年3月には慌てて撤退させたが後の祭りだった。
以降も5階天井裂が入っていたのが確認され、天井からが降ってくる、床面も沈下しているなど、事態は悪化の一途を辿っていたにもかかわらず経営は何の対策も取らなかった。

事故当日の不適切な対応

そして運命6月29日、前日に5階で発見された裂が当日のにはさらに広がっていることを店員マネージャーに報告。これを受け百貨店は5階を急遽休業とし、午後には冷房装置を停止。その後15時に呼んだ建築士が「今すぐ客や従業員を避難させないと大惨事になる」と警告。ところが上層部は「閉店時間までもうすぐだから補修しながら営業を続けて少しでも利益を取るべきだ!」と警告を無視したばかりか、部下に箝口を敷き、自分たちだけ建物から脱出した

そして17時57分、負荷に耐えられずについに5階の柱が折れたことを引き金に崩壊が始まり、上の階が下の階を押し潰す形で地下3階までわずか40一気に崩壊したのである。

その後

経営会長が業務上過失致死傷で7年6ヶの実刑を受けたのを始め、の職員も収賄・業務上横領・虚偽公文書作成の罪で実刑判決を受けた。なお会長は「三豊百貨店が崩れる事は客にも被害はあるが、私達の会社の財産くなるぞ!」と悪びれもなく言い放っている。

この事故や前年10月聖水大橋崩落事故、同年3月の大上仁洞ガス爆発事故など相次ぐ大惨事が起きたのを切っ掛けに韓国では1995年7月に災難管理法が成立し、消防防災庁直属の救助部隊「中央119救助隊」が設置された。しかし韓国特有の安全よりも利益を優先させる「安全不感症」は改善を見せることなくセウォル号沈没事故ソウル雑踏事故などの大惨事が繰り返されることとなる。

事故後多くの建物の緊急点検が行われたが、その結果判明したのは建て替えが必要な建物は全体の7分の1修理が必要とされたのは全体の5分の4に及び、実に98%建物が何らかの欠陥を抱えていたという衝撃の事実だった。

崩壊を免れたB棟もその後取り壊され、百貨店跡地には高級マンション「アクロビスタ」が建てられているが、そこでは事故の犠牲者の霊による心霊現象が発生することがあるらしい。

関連動画

こちらは営業当時の三豊百貨店のテレビCM

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