九四式軽装甲車とは、大日本帝国が開発・運用していたAFV(装甲戦闘車両)である。
イギリスから輸入したカーデンロイド豆戦車を元に前線へ物資輸送(主に弾薬)に用いられるトレーラーを牽引する[1]トラクターとして開発され『TK(特殊牽引車)』の通称が付けられたが後述の事情から偵察、歩兵支援に用いられることが多かった。
総生産数は800両を越える。
なお、『九四式』とは1994年ではなく『皇紀2594年(1934年)』に仮制式化したことを意味する。
全長3.1m弱、全幅・全高共に1.6m、全備重量3.5t弱の本車には35馬力のガソリンエンジンが載せられ最大時速40㎞/hを発揮できるとされたがそれ以上に重宝されたのが『小型・軽量』である事だった。
特殊な渡河機材が無くとも履帯の幅に合った相応の木材を2本用意すれば渡す事ができたし既製品のトラックへ乗せやすい上に整備が容易なガソリンエンジンだった事も現場で評価された。
だが『小型・軽量』という事は『低い防御力』+『発展性の低さ』も意味する。
本車では製造に当たって溶接が多用され最大装甲厚は12㎜で設計上は『全周に渡って7.7㎜小銃弾に300m以上離れれば耐える』とされたが実戦では通用しなかった。そして前述のガソリンエンジンは操縦士の真横に仕切りなしで配置していた為直撃弾=車内全焼に直結した。
一方、固定武装は旋回銃塔に備えた機関銃で当初は『九一式車載機関銃(6.5mm口径)』だったが原型の『十一年式軽機関銃』譲りの故障の多さと威力の低さが問題視され後に新型の『九七式車載機関銃(7.7㎜口径)』に換装され、搭載弾も2,000発近くから3,000発近くに増えている。
尤も日本軍の機関銃運用は弾幕射撃より長距離射撃が重視されており本車の重量では射撃の反動を抑えきれず命中精度は良くなかったとされている。
因みに副兵装扱いの機構として車外各所に銃眼が存在するがこれは拳銃用で乗員2名(車長・操縦士)の本車では『毛が生えた』程度の代物で視察孔には防弾ガラスが付属していないため被弾のリスクもあった。
なお、本車では以後の日本製戦車の特徴である『横向きスプリング式サスペンション』が初採用されている。
前述の通り、本車は牽引車として開発された事から当初は『九四式装甲牽引自動車』として仮制式化されたが翌年の本制式化の折に表記変更された。
そして程なく複数の師団に17両の本車で構成される『独立軽装甲車中隊[2]』が編成され順次中国大陸で実戦を経験することになった。
この結果、歩兵に随伴して共闘し戦果とAFVの運用経験の蓄積に繋げた反面、前述の通り火力・防御力不足が問題視された事で後継の『九七式軽装甲車』の開発が決定し対米開戦直前の1940年に生産を終了した。
しかしAFVの不足を補完するため本土や中国大陸のみならず太平洋各地に派兵され終戦まで運用が続けられた。
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最終更新:2025/12/13(土) 11:00
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