佐藤孝夫 単語

サトウタカオ

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佐藤孝夫さとう たかお)とは、元プロ野球選手である。故人

概要

1931年8月10日生まれ。日本統治時代の台湾で生まれ、宮城県刈田で育った。

白石高等学校に進学。在学3年間で甲子園大会には手が届かなかった。

大学卒業後、仙台鉄道管理局に入社し、2年間プレーした。

1952年国鉄スワローズに入団。

初年度の1952年、開幕から一軍メンバー入りを果たすと、5月には1番ショートレギュラーに定着。セ・リーグ新人記録の24試合連続安打や、14試合連続得点記録するなどチャンスメーカーとして活躍。打率.265、14本塁打、33打点に加え、当時のNPB記録である45盗塁記録するなど躍動。その活躍ぶりが評価され、新人王に選出された。

1953年、42盗塁記録しただけでなく、22本塁打を放ち、セ・リーグ最多の32二塁打記録

1954年は故障により、シーズンの半分ほどを棒に振ってしまったものの、翌1955年には24本塁打を放った他、セ・リーグ最多の77得点記録するなど復調し、オールスターゲームにも初出場している。

1957年、22本塁打を放ち、本塁打王タイトルを獲得。同球団における日本人選手の本塁打王は、2015年山田哲人が獲得するまで58年間現れなかった。

1960年にはキャリアハイとなる打率.280記録

1963年、出場機会を減らし、同年限りで現役を引退

引退後も国鉄・サンケイ・ヤクルトに残り、打撃コーチや守備コーチを務め、コーチを務めていない時期には、フロントスカウトとして活動。

1979年には、シーズン途中に辞任した広岡達朗監督代行として揮を執った。

ヤクルト以外にも、西武ライオンズ阪神タイガースでもコーチを務めた。

2001年、70歳にして解説者としてデビュー

2005年3月21日脳出血のため死去。享年73歳。

人物・エピソード

俊足と強打を武器に活躍した内野手国鉄球団創期の力野手として活躍した。

その躍動感あふれるプレーから「バンビ」の愛称しまれた。

ヤクルトではスカウト時代に、担当していた小坂誠低身長を理由にドラフト名を却下された際、千葉ロッテマリーンズGMを務めていた広岡達朗推薦し、プロ入りへと導いた。

通算成績

打撃成績

通算:12年 試合 打席 打数 得点 安打 本塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四球 死球 三振 併殺打 打率 出塁率
NPB 1275 4634 4078 557 970 150 432 219 47 19 482 7 679 77 .238 .319

獲得タイトル・表彰・記録

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