佐藤孝夫(さとう たかお)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 佐藤孝夫 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 宮城県刈田郡 |
| 生年月日 | 1931年8月10日 |
| 没年月日 | 2005年3月21日 |
| 身長 体重 |
171cm 68kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手、外野手 |
| プロ入り | 1952年 |
| 引退 | 1963年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1931年8月10日生まれ。日本統治時代の台湾で生まれ、宮城県刈田郡で育った。
白石高等学校に進学。在学3年間で甲子園大会には手が届かなかった。
初年度の1952年、開幕から一軍メンバー入りを果たすと、5月には1番ショートのレギュラーに定着。セ・リーグ新人記録の24試合連続安打や、14試合連続得点を記録するなどチャンスメーカーとして活躍。打率.265、14本塁打、33打点に加え、当時のNPB記録である45盗塁を記録するなど躍動。その活躍ぶりが評価され、新人王に選出された。
1953年、42盗塁を記録しただけでなく、22本塁打を放ち、セ・リーグ最多の32二塁打を記録。
1954年は故障により、シーズンの半分ほどを棒に振ってしまったものの、翌1955年には24本塁打を放った他、セ・リーグ最多の77得点を記録するなど復調し、オールスターゲームにも初出場している。
1957年、22本塁打を放ち、本塁打王のタイトルを獲得。同球団における日本人選手の本塁打王は、2015年に山田哲人が獲得するまで58年間現れなかった。
引退後も国鉄・サンケイ・ヤクルトに残り、打撃コーチや守備コーチを務め、コーチを務めていない時期には、フロントやスカウトとして活動。
1979年には、シーズン途中に辞任した広岡達朗の監督代行として指揮を執った。
ヤクルト以外にも、西武ライオンズや阪神タイガースでもコーチを務めた。
俊足と強打を武器に活躍した内野手。国鉄球団草創期の主力野手として活躍した。
ヤクルトではスカウト時代に、担当していた小坂誠が低身長を理由にドラフト指名を却下された際、千葉ロッテマリーンズのGMを務めていた広岡達朗に推薦し、プロ入りへと導いた。
| 通算:12年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1275 | 4634 | 4078 | 557 | 970 | 150 | 432 | 219 | 47 | 19 | 482 | 7 | 679 | 77 | .238 | .319 |
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最終更新:2025/12/05(金) 19:00
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