小林健二(こばやしけんじ)とは、将棋棋士である。棋士番号123。香川県出身。愛称はコバケン。
タイトル戦に縁がなかった(挑戦者決定戦が最高)が、棋戦優勝は2回。
弟子に伊奈祐介、島本亮、古森悠太、池永天志がおり、そして後にプロに編入した今泉健司も小林の弟子であった。女流では岩根忍、北村桂香がいる。
今でも今泉とは交友を保っており、プロ編入を果たした時は祝福のメッセージを送っている。
プロ入りは18歳で、元々は矢倉を得意とする居飛車党だったのだが、1990年に突如として四間飛車に目覚め、振り飛車党となって第一線で活躍を続けた。
2017年に順位戦C級2組で2個目の降級点がついてしまい、その年にフリークラスを宣言。
これに伴い、2022年に棋士として引退することが決定した。
小林健二といえば四間飛車であり、スーパー四間飛車と銘打って(どうやら当時流行したスーパーマリオに影響されたとか)定跡を研究し、四間飛車を中興させた。
中でも圧巻は第49期(1990-91年度)の順位戦B級1組にて全局で四間飛車を指して10勝1敗(※)の成績でA級に復帰するという離れ業を見せた。
これにより居飛車穴熊の台頭により姿を消しかかっていた四間飛車が復活の狼煙を上げ、後の杉本昌隆、櫛田陽一、藤井猛、鈴木大介らに影響を与えているなど、紛れもなく四間飛車の中興の祖である。
また、同じ四間飛車党の杉本は弟弟子に当たる。
※本来B級1組の定員は13名だが、前年度に二上達也九段が同階級に在籍しながら引退したため、この年は12名で行われた。
プロ棋士としての活動を続ける傍ら、東南アジアや南アジアでの将棋普及に努めている。
2017年にはマレーシアで開催された将棋大会に出席した。
同年代の田中寅彦とは昵懇の間柄であり、よく一緒に呑みに行っている。
その際、第一回叡王戦(2016年開催)で解説に呼ばれた田中が現地解説の小林に自分の携帯で電話をかけたのがいわば将棋版テレホンショッキング、後のティロフォン(着メロに西尾明作曲のCM曲を流していることからそう呼ばれ、後に現地から電話がかかってくるようになった)の始まりである。
第46回(1996-97年度)NHK杯テレビ将棋トーナメントで屋敷伸之七段(当時。現在は九段)と対局した際、同棋戦史上初めての時間切れ負けという大失敗をしでかした。小林はその対局を振り返って「秒読みで着手をしようとした時に自玉に詰みがある筋が一瞬見え、受けなければいけないと思って頭が真っ白になった瞬間に時間切れになってしまった」と語っている。
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最終更新:2024/09/09(月) 06:00
最終更新:2024/09/09(月) 07:00
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