山本樹 単語

ヤマモトタツキ

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山本樹やまもと たつき)とは、元プロ野球選手である。

概要

1970年8月31日生まれ。岡山県倉敷市出身。

玉野高等学校に進学。3年中国大会で優勝を果たしているが、甲子園大会出場歴はし。

卒業後、龍谷大学に進学。在学4年間で10勝9敗という成績を残している。

1992年ドラフト会議にて、ヤクルトスワローズから4位名を受け入団。同期入団には伊藤智仁真中満小倉恒らがいた。

入団から3年間で33試合登板したが、立った成績は残せなかった。

1996年ローテーションの谷間での先発リリーフ登板機会を重ね、37試合登板で、4勝8敗1セーブ防御率4.53という成績を残した。

1997年、前年よりリリーフ登板率が増し、46試合登板で3勝6敗1セーブ防御率3.67という成績を残した。

1998年リリーフに専念し、高津臣吾につなぐ左のセットアッパーとして起用され、35試合登板で7勝2敗3セーブ防御率2.03と抜群の安定感を発揮した。

以降も中継ぎ投手として活躍を続け、1999年には51試合2000年には44試合登板し、リリーフを支えた。

2001年、キャリア最多の61試合登板し、6勝3敗1セーブ防御率2.93と好成績を残し、セ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでは3試合登板し、日本一を決めた第5戦では勝利投手となっている。

2002年は左肩を故障し、11試合登板に終わっている。

2003年、対左打者のワンポイントリリーフとして復活し、50試合登板で、防御率2.64を記録

2005年、5試合登板に終わり、シーズン終了後に戦力外通告を受けた。その後、12球団合同トライアウトを受けたが、獲得球団は現れず、そのまま現役を引退した。

引退後は、龍谷大学大阪観光大学、シティライト岡山監督コーチを務めた。

人物・エピソード

キレのある直球と、カーブスライダーなどの変化球武器に活躍した左のリリーバー。肩を故障してからは変化球中心の投球スタイルに転向し、新たな武器としてスクリューを習得している。

導者としては、師である野村克也氏に倣い、練習にミーティングを多めに取り入れている。

通算成績

投手成績

通算:13年 登板 完投 完封 勝利 敗戦 セーブ ホールド 勝率 投球回 与四球 奪三振 失点 自責点 防御率
NPB 405 4 2 27 37 10 4 .422 573.1 199 448 274 245 3.85

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