三代目桂米朝とは、上方落語の落語家である。本名は中川清。厳密には満州生まれだが、姫路で育った。また50年間、尼崎市武庫之荘(下町のイメージ強い尼崎だが、市北部はセレブ街が多い)に居を構えた。名が売れても決して驕らず常に謙虚で、そして節度を守り、悪い噂は何一つ立たなかった(実際はそこまで聖人君子というほどでもなかったらしく、多少酒癖と女癖は悪かったが、スキャンダラスなものはなかった)というほど至って真面目な生涯であった。そのため、関西では誰もが皆、最大限の敬意を表し、呼び捨ては恐れ多いとばかりに「さん」か「師匠」を付けざるを得ないという、まさしく神に等しき人物となっている。なお、死後に従三位を追叙されており、名実ともに神階を与えられている神である。
戦後に没落、消滅しかけた上方落語を復興させ、そして桂枝雀を筆頭に、月亭可朝、桂ざこば、桂南光、桂吉朝、桂吉弥など数多くの噺家を世に送り出したその功績は計り知れない。笑福亭松鶴、五代目桂文枝、桂春團治と共に浪速の四天王ともいわれたが、その中で最も人気とカリスマ性を得ていたのは言うまでもないだろう。
紫綬褒章を受賞、柳家小さん以来、落語家として2人目の人間国宝に認定、そして文芸界初の文化勲章受賞者である。銃刀法違反とかやっちゃいけないね。
余談だが、関西の人が米朝対談というと、たいがい「米朝師匠の対談」を連想するらしい(探偵!ナイトスクープの小ネタにもなったことがある)。
文化勲章を受賞したのも伊達ではなく、その芸は正に名人の域である。豪快な語り口が多かった上方の噺家とは一線を画し、心地良さを感じられる上品で雅やかな語り口が身上であった。「落語とは催眠術である」が座右の銘であり、観衆を物語の世界にいざなうことを常に意識していたという。また、細かい仕草にも拘っていたらしく、竈での飯炊きや針仕事、紐の綯い方まで実際に実演して練習を重ねていたという逸話がある。
尚、米朝の語りは、一括りに大阪弁と言っても、名代の商家が多かった船場地方の方言、いわゆる船場言葉というものであり、大阪に住んでいてもあの上品な喋りに憧れることも多く、マネしようとしてもまず無理といわれる代物である。
一方で、尾籠な艶笑落語も得意としており、表舞台ではまず紹介されなかった一種の裏芸である。
掲示板
11
2023/12/17(日) 02:16:53 ID: xmP7LYqNF6
>>2
志ん生は正確には倒れた後の録音があのもっちゃりしてるやつで若い頃は喋りが早すぎる(圓生談)なので売れた後でなおかつ倒れる前の老人の頃が一番だろう
落語聞き慣れてる人で江戸落語を聞こうっていうならそれこそ圓生とか金馬とかが音も良くて声も聞き取りやすいからいいんじゃないだろうか
あともう少し新し目だと江戸っ子であることにやたら誇りをもってた馬の円楽とか好き嫌いは分かれるけど江戸の風といえばやはり談志
逆に上方は米朝師匠と松之助師匠あたりだろうね個人的には枝雀師匠もいいとは思う
12 ななしのよっしん
2024/01/07(日) 07:41:42 ID: RSp3MWb19s
>>11
談志が江戸の風ってのは100%無いよ
良くも悪くも現代的で、江戸っ子への憧れが誰よりも強いのに、どうしても江戸っ子になれなくてああなったんだから
若い頃のソリッドな落語も、当時の他の落語家と比べるとスピードがあり過ぎてニューウェイブの落語だった
馬圓楽とか談志は悪く言っちゃえばゲテモノだよ
伝統芸能として圓生、大衆芸能として金馬が正解だろうね
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最終更新:2024/12/02(月) 08:00
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