笑福亭松鶴(しょうふくていしょかく)とは、戦後の上方落語界において、上方落語四天王といわれた大名人である。松鶴(しょうかく)ではない。本名は竹内日出男。5代目も爆笑王といわれた有名な人物だったが、ここでは6代目について記述する。
かの人間国宝にして、文化勲章受賞者三代目桂米朝と並び、上方落語を復興させた立役者の一人である。立て板に水というべき、軽妙な話術に定評があり、役者顔負けの演技力と表現力を持っていた。とりわけ、丁稚や酔人など個性溢れる演技に定評がある。気品のあった米朝や娘役など艶やかな演技で人を魅了した春團治と比較すると、豪快さが似合う剛性の人物でもあった。また、無類の酒好きであったことで知られ、
「私、笑福亭松鶴が酒を飲めないことを疑うならば、ぜひ酒2升を目の前に置いてください。おそらく、お猪口でほんの少ししか…残らないでしょう」
残念なことに50代半ばに脳梗塞を患ったことで呂律が回らなくなってしまい、往年の言い回しは成りを潜めてしまった。それでも噺家として第一線に立ち続け、円熟味の増した懐の深い演技で、人々を魅了し続けた。弟子に笑福亭仁鶴や笑福亭鶴光、笑福亭鶴瓶などがおり、多くの弟子を拒まず受け入れ、笑福亭一門を繁栄させた立役者でもある。
68歳で没。
松鶴が評価されている点は演技力もさながら、戦後で初めて東西の落語界の交流を深め、お互いを研鑽したことにある。五代目柳家小さん、三遊亭夢楽とは親しく、それが縁で数々の若い東京の落語家も可愛がっていた。その中に古今亭志ん朝や立川談志という、後に江戸落語を背負って立つ人物もいた。
その古今亭志ん朝、そして立川談志ともども、心底から心酔、尊敬していた上方落語の人物の一人として笑福亭松鶴を挙げている。二人が大阪に行った時、氏の十八番「らくだ」を聞いて衝撃を受けたことは有名なエピソードである(この「らくだ」は米朝すらも、彼が世を去るまで、畏れ多くて殆ど演じなかったという一世一代の名演技であった)。また、東京の落語家を上方に招いた時には必ず、トリを任せていたといわれており、そのもてなしの心に甚く感銘を受けたという。
もっと、江戸落語の愛好家に知って頂きたい人物である。ただ、破天荒な生き様や癖のある演技から、米朝と比較しても、上方落語愛好家でも好悪はけっこう分かれてはいる。
なお、破天荒な生き様についての記述については、pixpedia(ピクシブ大辞典)における同氏の項目が精しいが、正直無茶苦茶である。
掲示板
2 ななしのよっしん
2018/11/28(水) 13:41:41 ID: hzrej6B7UR
米朝師が6代目存命中はらくだを演じなかったって本家wikiにも書いてあるけど普通に演じてるんだよなぁ…
6代目が亡くなったのは昭和61年だけど、米朝師自身が全集の解説で昭和51年にネタ下ろししたって書いてるし、昭和52年のらくだの録音がレコードやCDとして普通に販売されてる
なんでこんな調べたらすぐ分かるような間違いが広まってるんだろう?
3 ななしのよっしん
2019/04/13(土) 02:38:13 ID: Ed0ZgUjo6i
調べてみたら、松鶴本人が演じなくなった時期と関係してるっぽい?まだ確証とれないので記事の変更はしないけど
4 ななしのよっしん
2023/03/04(土) 14:32:53 ID: k+bUGfv6G+
松鶴のエピソードは鶴瓶のトークで色々聴けるが、アナーキーで好色で気分屋で理不尽で、理不尽さを補って余る程愛情の深い人だったのがわかる。
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最終更新:2024/12/02(月) 06:00
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