欠端光則(かけはた みつのり)とは、元プロ野球選手である。
| OB | |
|---|---|
| 欠端光則 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 岩手県二戸郡 |
| 生年月日 | 1963年1月10日 |
| 身長 体重 |
183cm 89kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 投手 |
| プロ入り | 1980年ドラフト3位 |
| 引退 | 1993年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
1963年1月10日生まれ。岩手県二戸郡(現:二戸市)出身。
岩手県立福岡高等学校に進学。元々はショートとしてプレーしていたが2年時にエースが故障したことで投手に転向。3年夏にはエースとしてチームを19年ぶりの甲子園大会出場に導いたが、1回戦で敗退している。
1980年、ロッテオリオンズからドラフト3位指名を受け入団。
1982年、一軍デビューを果たすと、6月の西武ライオンズ戦であわやノーヒットノーランという快投を見せプロ初勝利を挙げた。同年は30試合に登板し1勝6敗、防御率5.46。
1983年、32試合に登板。シーズン終了後、右田一彦らとのトレードで横浜大洋ホエールズへ移籍。
1985年、先発ローテーションに定着。特に強打者相手に存在感を示し、9勝5敗、防御率5.07という成績を残す。
1986年、7勝11敗と負け越しはしたものの、防御率3.74をマーク。プロ入り初完封勝利も記録した。
1987年、膝の故障もあり二軍調整となった時期もあったが、先発・リリーフ双方で起用され、7勝9敗、防御率4.58の成績を残す。
1988年、アキレス腱断裂により離脱している遠藤一彦に代わり開幕投手を任され勝利投手となり、その後3試合でも完投勝利を挙げ、4試合連続完投勝利達成。以降は先発だけでなくリリーフでも活躍。51試合に登板しキャリアハイの11勝(チーム最多)を挙げ、防御率も3.22と好成績を残した。
1989年、二年連続でチーム最多勝利となる9勝(10敗)、防御率3.31をマーク。
1990年以降はこれまでの勤続疲労が出たがか、打ち込まれる場面も増えるなどやや低迷。
1992年、リリーフに専念し中継ぎ投手としてリーグ最多の55試合に登板、4勝2敗1セーブ、防御率3.10と復調。
だが、以降は肘の故障に悩まされ再び低迷し、1994年限りで現役を引退。
引退後も横浜に残り打撃投手や球団広報を務め、現在は同球団のスカウトを務めている。
体格を活かした重い直球と低めへのフォークボールを武器に、低迷期の横浜大洋投手陣を先発・リリーフ双方で支えた右腕。特に広島戦に強さを見せた。
色白の風貌であり、大柄な体格や大食漢でもあったことから「白熊クン」の愛称で親しまれた。
福本豊が解説で「たこ焼きみたいやね」とコメントした試合で敗戦投手となったのは欠端だったりする。
長女は2012年ロンドンパラリンピックにおいて女子ゴールボールで金メダルを獲得している。
| 通算:12年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 351 | 22 | 4 | 57 | 71 | 3 | --- | .445 | 1164.2 | 352 | 669 | 628 | 564 | 4.36 |
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最終更新:2025/12/16(火) 17:00
最終更新:2025/12/16(火) 17:00
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