沿ドニエストル共和国(正式名称:沿ドニエストル・モルドバ共和国)とは、モルドバとウクライナとの国境地帯に存在する国家を称する勢力。国際的には承認されていない。
モルドバとウクライナとの国境地帯、ドニエストル川の東岸(トランスニストリア)に位置する事実上の独立国家。首都はティラスポリ。国民はロシア系、ウクライナ系、モルドバ系の三民族がそれぞれ3割前後であり、ごく少数のブルガリア系などを除けばほぼ三等分の民族比となっている。
殆どの国からは独立を承認されず、モルドバ共和国の一部とみなされている。
国名の通りドニエストル川東岸の河川敷に沿った細長い国であり、川を挟んでモルドバと向かい会っている。南北の長さ約200km。東西の幅は広いところで20km、狭いところだとわずか4kmしかない。西岸に飛び地として実効支配地域(ベンデル)がある他、国土の中央部にモルドバ側の実効支配地域がウクライナ国境までくさびの様に食い込んでおり、沿ドニエストル側は南北を結ぶ幹線道路とその周辺のみ実効支配している。
沿ドニエステル共和国の国旗は赤旗に緑の帯と旧ソ連の鎚と鎌の徽章をあしらったものであり、国章もソ連風。政府が発行するパスポートには、CCCP(ソ連の略称)と銘記されており、さながらソ連残党の隠れ里の趣がある。
国連加盟国からはロシアも含めて国家承認されていないがアブハジア、アルツァフ、南オセチアといった未承認国家群と相互承認している。
経済はソ連時代から盛んだった重工業地帯を引き継いでおり、兵器もある程度自給できている。国際的な武器の密売に関与していることが噂されている。
1990年に当時まだソビエト連邦加盟国だったモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国で起きていた独立運動に対してソ連残留派が分離独立を果たす形で成立。
モルダヴィア・ソビエト社会主義共和国は領土の大部分が第二次世界大戦前後にルーマニアからソ連へ割譲された地域であり、モルドバで話されるモルドバ語もルーマニア語の方言と言ってもよいものだった。
80年代後半になるとモルドバ人の間では独立運動が盛んになりルーマニア民族主義が台頭、その後モルドバではモルドバ語が唯一の公用語となり、ルーマニアとの再統合の主張まで現われた。
一方ドニエストル川東岸地域は第二次世界大戦前からソ連領であり、ロシア系住民が多い地域だったためモルドバの独立運動に反発。モルドバ系やウクライナ系の地元住民も大部分が沿ドニエステルの工業地帯(モルドバのGDPの約40%を占めていた)から経済的利益を得ていたためソ連(後にロシア)からの離脱に消極的であり、1990年に住民投票を2回行った結果それぞれ96%と98%という圧倒的多数でモルドバからの離脱と独立を決定した。
ソ連崩壊によって1991年にモルダヴィア・ソビエト社会主義共和国がモルドバ共和国としてソ連から正式に独立した際にも、沿ドニエストル側は改めて独立を宣言したが、沿ドニエステルの工業地帯はモルドバの工業生産と電力の殆どを供給する重要地帯だったため、モルドバ側が独立を認めるはずはなく、戦争になった(トランス二ストリア戦争)。
ドニエストル川東岸に駐屯していたロシア軍が沿ドニエストル側を支援したため、半年で沿ドニエステル軍は東岸全域を確保したうえ、首都ティラスボリ周辺では西岸の一部も確保し、1992年に停戦が実現。現在に至るまでロシア軍が平和維持軍として駐留し続けている。沿ドニエストル側は将来的にロシア連邦への加盟を希望しているが当のロシアは乗り気ではなく、後見役に留まっている。
停戦後はモルドバ側が沿ドニエステルへの経済封鎖を宣言したり、これに報復として沿ドニエステル側がモルドバへの電力の供給を停止したりといった事件はあったが、1992年以降モルドバと沿ドニエストルとの戦闘は発生しておらず、結局沿ドニエストルの最大貿易相手はモルドバである状態が続いており、両国の国民は身分証明書の提示だけで自由に行き来をしている。治安も(人口流出で過疎なので)そこまで悪くなく普通に観光もできた。
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最終更新:2024/04/25(木) 13:00
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