西園寺昭夫(さいおんじ あきお)とは、元プロ野球選手である。故人。
| OB | |
|---|---|
| 西園寺昭夫 | |
| 基本情報 | |
| 国籍 | |
| 出身地 | 熊本県熊本市 |
| 生年月日 | 1937年10月31日 |
| 没年月日 | 2011年10月3日 |
| 身長 体重 |
170cm 68kg |
| 選手情報 | |
| 投球・打撃 | 右投右打 |
| 守備位置 | 内野手、外野手 |
| プロ入り | 1957年 |
| 引退 | 1970年 |
| 経歴 | |
| 選手歴 コーチ歴 | |
| プロ野球選手テンプレート | |
熊本工業高等学校に進学。2年時には夏の甲子園大会に出場し、センターとしてプレー。準決勝まで勝ち進んでいる。
卒業後、東洋レーヨンに入社。
入団2年目の1958年、開幕戦でサードとして起用されると、その後86試合に出場するなど一軍定着を果たす。同年は打率.219、2本塁打、11打点を記録。
1959年、3番ショートとしてレギュラーに定着。打率.300、11本塁打、49打点、11盗塁を記録し、オールスターゲームにも選出された(出場は辞退)。
1960年、サードにまわり、打率は.221と低打率ではあったが、14本塁打、16盗塁を記録。
1961年、打率.258と持ち直し、キャリア最多の22本塁打、73打点を記録した他、20盗塁、11犠打(パ・リーグ最多)を記録するなど、チームの中心選手として活躍し、オールスターゲームにも選出された(この年も辞退している)。
1962年、1番打者として起用され、打率.255、8本塁打、45打点、24盗塁を記録し、東映球団にとっては初めてとなるパ・リーグ制覇に貢献。日本シリーズでは、第7戦目の延長12回に、村山実から決勝本塁打を放ち、日本一へと導いた。
1963年、打率.262、16本塁打と打撃面での活躍が光る一方で、キャリアハイとなる33盗塁を記録するなど、走塁面でも活躍を見せた。
その後も東映のレギュラーとして活躍を続けたが、1966年に金銭トレードで阪神タイガースへ移籍。
阪神では外野手としてプレーし、控えの外野手として起用され、1968年には95試合に出場している。
1968年シーズンオフ、鈴木皖武とのトレードでアトムズへ移籍。
1969年、オープン戦から好調を維持し、ショートのレギュラーの座を獲得したが、5月に故障離脱している間に東条文博にレギュラーを奪われた。以降は低迷し、1970年限りで現役を引退。
小柄な体格ながらパンチ力のある打撃と、俊足を武器に活躍した右打者。二桁本塁打を6度記録し、8年連続で二桁盗塁を記録するなど、高いレベルでバランスの取れた選手でもある。
遠征時には人気力士やスター選手のモノマネを披露したり、ギターを演奏して、チームメイトたちだけでなく乗客たちも盛り上げるなど、ひょうきんな人物でもあったようである。
| 通算:14年 | 試合 | 打席 | 打数 | 得点 | 安打 | 本塁打 | 打点 | 盗塁 | 犠打 | 犠飛 | 四球 | 死球 | 三振 | 併殺打 | 打率 | 出塁率 |
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| NPB | 1413 | 5225 | 4518 | 638 | 1144 | 117 | 445 | 153 | 64 | 28 | 586 | 28 | 767 | 80 | .253 | .343 |
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最終更新:2025/12/06(土) 00:00
最終更新:2025/12/06(土) 00:00
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