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1 ななしのよっしん
2012/01/10(火) 09:31:15 ID: KosujTTOg9
2 ななしのよっしん
2012/01/25(水) 22:43:03 ID: /Ri8WV4HTP
この人は、凡庸だったからこそ生き延びることができたのではないか、と個人的には思う。
3 ななしのよっしん
2012/01/29(日) 19:08:21 ID: H7PEhZYjbD
結果は上杉景勝と大して変わらない気もするが、彼と違って再評価されないのは
やっぱり人柄かね…。
4 ななしのよっしん
2012/02/08(水) 02:40:44 ID: 9RZiOj8jbh
コーエーのゲーム・毛利元就-誓いの三矢では元就死後の主人公。
他の歴史ゲームと違って戦闘が無茶苦茶強く、
本能寺の変が起こると秀吉・光秀・家康らを倒して天下人になってしまう。
5 ななしのよっしん
2012/02/15(水) 10:51:58 ID: w9USG/u2qR
この記事だと関が原の戦いの時はお飾りの様に見えますが
大量の兵を動員してたり、手下の海軍衆に東軍の城を攻めさせたりと実はノリノリ
6 ななしのよっしん
2012/02/20(月) 23:10:48 ID: lrtXz7NtGZ
領地を無くした今川・斉藤よりはマシだな
家臣たちが見捨てなかったというのも才能の一つだろう
江戸期・毛利家の君臨すれども統治せずの歴史はこの人からなのだな
しかし薩摩・島津家とはあきらかに対照的である
あっちは島津に暗君無しと賞賛・羨望されたものだが
片や大減封、片や本領安堵。幕末でも薩摩のほうが外交上手だし
7 ななしのよっしん
2012/02/21(火) 21:25:48 ID: WksEkMQt8+
子供の時に読んだ地元の漫画では、広島城の築城の遅れで借金を増やした部下(たぶん叔父の穂井田元清の事と思われる)が責任とって切腹するのを止める話があって、人格者だなぁ…と思ってた。
ちなみに、その漫画だと、石田三成達に
「秀頼公の傍に五大老が一人もいないのは困るので大坂城に来てください」
と騙されて西軍に参加するはめになって、
「わし戦うつもりはなかったのに…徳川家康の言いがかりのせいでこんな目に…」
って感じで、子供心にうーんと思った。
8 ななしのよっしん
2012/02/23(木) 22:53:00 ID: /Ri8WV4HTP
成長の過程で、権力の使い方を上手く身に付けられなかったんだと思う。幼少期から青年期まで毛利元就、それ以後は吉川元春や小早川隆景に任せっきりで、彼らが死んだ後は自己判断や周囲の統率ができない暗君に・・・
隆元が早く死にすぎたのも一因かもしれない。
9 ななしのよっしん
2012/03/09(金) 21:24:36 ID: SpyaEdbFxn
10 削除しました
削除しました ID: IXS1f68Nwy
削除しました
11 ななしのよっしん
2012/04/06(金) 16:10:20 ID: N7cSIZNUiY
最近は輝元ちゃんとか言われ劉禅並にネタ扱いされてる気もしないでもない
12 ななしのよっしん
2012/04/14(土) 16:45:30 ID: j8NM3k0T9W
両川の献身が評価されるのはいいけど、元春・隆景が関わってない分野の輝元の業績まで両川の功績にされがちなのは悲しい
元就の代に荒らした西中国地方の内陸経済を復興して四面楚歌の状況でも耐えぬいた国力兵力を培ったのは輝元と奉行たちの功績
元就・隆元から引き継いだ奉行たちが亡くなった後は輝元の差配で人事が行われているし
恵瓊が豊臣政権下で出世して毛利家を利用した形になったこと、その恵瓊が毛利家に圧力を掛ける秀吉の手先の立場になったのが家中分裂の大きな原因
関ヶ原で毛利家が減封になった後は広家が家中で孤立したけど、関ヶ原の前はアンチ恵瓊で広家支持の家臣達が多数を占めていた
東西どちらに味方するにしろ、輝元は恵瓊の干渉を排除するべきだったかもしれない
恵瓊はもう自立大名だったのだし。恵瓊にも言い分はあっただろうけど
13 削除しました
削除しました ID: IXS1f68Nwy
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14 ななしのよっしん
2012/07/16(月) 02:52:06 ID: JHEWQlDHBH
>>6
減封に関しては本人の失策だけれど上手く世渡りできたとしても家康が街道沿いに百万石そのまま残すってことは無かったろうし難しいね
薩摩は九州の隅っこで蜂起されたりすると手を出しづらいから懐柔も兼ねて安堵したようにも見える
15 ななしのよっしん
2012/09/18(火) 09:04:16 ID: E1fXWBt7B8
偉大なるチートじいちゃん元就の
「天下なんか狙うなよ」
の言葉にそむいた結果大減俸というのがどうもオチがついたみたいで
失策っぽい
16 ななしのよっしん
2012/11/04(日) 15:22:48 ID: QwoL+AxlKJ
>>14
北国街道(北陸道)沿いに102万5千石あった加賀藩(前田藩)は?
ここも五大老だったと思うが。
当時の山陽道は、五街道でもなかったでしょ?
……まあ国の安定を考えたら、江戸から遠いところに強大な藩が集まってたら不味いというのは分かる。最終的に幕府を滅亡させた薩長同盟を考えても。
17 ななしのよっしん
2012/11/05(月) 22:30:41 ID: Ikm2i3dhYx
大坂城に篭って誓紙を受け取ればここまで評価は下がらなかっただろうに。
三万の軍勢と、瀬戸内海村上水軍、さらに大坂城があれば、一年は戦える。
18 ななしのよっしん
2012/11/06(火) 00:13:52 ID: /Ri8WV4HTP
長州藩の祖とか言われてるけど、個人的に長州藩の真の祖は毛利元就だと思う。明治時代に、正一位を追贈されてるし。
19 ななしのよっしん
2012/12/19(水) 03:20:36 ID: +lvmoYshVd
>>14
横レスで申し訳ないけど、この頃の前田家と徳川家にはすでに縁戚関係があった筈。一方、毛利家と徳川家には縁戚関係がない。これだけでも、信頼の面でかなりのハンデだったと思う。
20 ななしのよっしん
2012/12/27(木) 02:17:28 ID: QxZv2Gg4lo
21 ななしのよっしん
2012/12/30(日) 15:03:04 ID: jqWMinoTms
革新PKの群雄だと当主は無能でも構わないから
毛利家でやった人は元就や三兄弟を活躍させるため
探索で見つかった輝元に当主譲ってやって人は多いと思うんだよね。
独自技術も覚えるし
22 ななしのよっしん
2013/01/04(金) 22:56:13 ID: wtSVeJZvFC
尼子や大内は隣が毛利で運がなかっただなんてよく言われるが
中国を平定してみたら隣が織田とか羽柴だった毛利はもっと運がなかったわけだな
23 ななしのよっしん
2013/03/03(日) 12:40:11 ID: +FU7Hxh6c1
ふと大河ドラマ「毛利元就」を見てこの記事にたどり着いた
面白い記事ですな
次は「葵徳川三代」を見返そうと思います
24 ななしのよっしん
2013/04/20(土) 21:42:29 ID: tTJbs9XvZ/
>>22
むしろ新興ながらも大勢力である尼子、名家であり西国一の大勢力である大内の二大勢力に挟まれていた毛利こそ運が無かったと言える。
安芸の一領主でしかなかった毛利家を中国地方を支配する大大名にまで成長させた爺様は偉大。
そんな爺様の後を継ぎながらも早死にしてしまったが、爺様と弟たちを支え続けた被害妄想気味の父様もやはり偉大。
そして叔父さんたちの折檻や魔王・猿・狸のいじめにも耐え、戦国の荒波を乗り越えて毛利家を存続させた輝元も偉大。
25 ななしのよっしん
2013/05/07(火) 20:56:03 ID: kPJsIRAyUu
いい意味で凡将というか、守ってあげたくなる魅力があったのかもね
両川はお互い意見が対立することもしばしばあったみたいだし
更には輝元も自分の意見を押し通すようだったら
どちらかが離反するようなこともあったかもしれない
26 ななしのよっしん
2013/07/09(火) 13:46:18 ID: UKfJdel98G
というか周りが優秀すぎるは経営者として辛いね。
島津義久みたいに優秀な部下を信頼して待ち続けるぐらいの人でないと難しい。
輝元は関が原とか優柔不断すぎたしね
27 ななしのよっしん
2013/07/20(土) 22:25:45 ID: o1rDRksz3U
杉元宣の美人の妻を奪った挙句元宣殺しちゃったり
佐野道可事件のトカゲの尻尾切りで道可の子供殺しちゃったり
どうもお坊ちゃん的イメージと違って結構エグイことやってるんだよねこの人
28 ななしのよっしん
2013/08/08(木) 18:20:49 ID: TvoUxFTeND
>>27
良くも悪くもボンボンだから。
大人しいからって欲がないわけでもないし、ヤンキーよりオタクの方が陰湿だったりするのと一緒。
英雄は野望完遂のために厳しく、それ以外には寛容なものだけど、輝元はその逆で、
人並みの欲望のために厳しく、もっと大事な場面で寛容すぎた。
そんなことを、尼子攻めや関ヶ原を見てると思う。
29 ななしのよっしん
2013/10/04(金) 13:28:09 ID: ufKP5e+RAj
30 ななしのよっしん
2013/11/09(土) 14:33:42 ID: yWlYz9LwjV
なんだかんだいって内政能力はチートなんだよなこの人
大赤字の藩の財政を大黒字にしちゃってるんだから
ほめた!
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