共同体主義(英: communitarianism)とは、共同体(コミュニティ)の価値を重んじる立場。コミュニタリアニズム。-主義者はコミュニタリアン。
概要
19世紀から20世紀にかけて、コミュニティ(Community)を重んじる思想は、コミュニズムと呼ばれてきた。しかし、これは日本語や中国語にある共産主義の意味、つまり、資本主義に代わる体制を指し、専らマルクス主義の思想をいうようになる。
コミュニタリアニズムは、資本主義内部で共同体の価値を実現しようとする立場である。1970年代頃から、リベラリズム(自由主義)やリバタリアニズム(自由至上主義)に対する対抗軸として、政治社会学や政治思想の分野で使われるようになった。コミュニタリアニズムの思想には、国家を共同体の単位と見なす「国家型コミュニタリアニズム」と、地域を共同体の単位と見なす「地域型コミュニタリアニズム」の2つがある。共通するのは以下のものがある。
- 経済的な共同性よりも、道徳的な共同性を育んでいく。犯罪が少なく、安心して暮らすことの出来る社会を求めている。これに対して経済については、中央計画経済を支持するのではなく、部分的な計画経済や失業対策を支持するに留まる。
- 各人のアイデンティティは、共同体の文脈の中に埋め込まれており、文脈の中で豊かな関係性を築いてこそ、アイデンティティはすぐれた形成を遂げると考える。文脈が断片化していたり、人間関係が希薄化してしまうと、人は「価値ある人生」を送ることができない。人は共同体を「価値あるもの」として再生しなければ、「善き生」を送ることが出来ない。すぐれた社会とは、個々バラバラな個人の自発的な結びつきや契約によって成り立つのではなく、人々を結びつける共通価値によって成り立つのであり、そうした価値の中に諸個人を包摂しなければならない、とする。
- 各人は、自治の活動に参加することで、初めて美徳を身につけることができる。だから社会は、「自治」の美徳を、「正義」や「権利」よりも優先しなければならない。例えば、国家ないし地方自治体は、各人のプライベートな生活を充実させることよりも、公民館や図書館、学校行事や年中行事などを充実させることに予算を費やさなくてはならない。
ただし、国家型と地域型は、ある点で衝突する。地域型コミュニタリアニズムからすれば、国家は、共同体を超えた権力装置であり、価値ある共同体になることはできない。国家は、既存の地域共同体を破壊させて成立したのであり、国家の縮小と分権化こそ、共同体の再生にふさわしいとみなされる。これに対して、国家型コミュニタリアニズムからすれば、各地域がローカルな共同性を育むだけでは、地域エゴを排することができない。むしろ国家を一つの共同体として育むべきだ。そのとき国家は、既存の共同体が抱える非近代性や排他性といった難点を克服した、近代の諸原理と融和した、価値ある共同体とみなされる。
国家型コミュニタリアニズム
国家型コミュニタリアニズムは、自由権だけでなく、近代以降獲得してきた、社会権や生存権、諸々の社会保障や福祉制度を重視し、人々の暮らしを、安心・安寧・分かち合いなどの価値によって築こうとする。そのための国家の役割は、ルソーやヨハン・ゴットフリート・ヘルダー、エミール・デュルケムが描いたような、近代ロマン主義において求められた共同性の道徳を確立することである。ただし、国家型コミュニタリアニズムのビジョンは、資本主義のもとで生成した家父長制の理念と一部重なる点もある。とりわけ家族道徳については、近代家族のもとで発展した家父長制を重んじる傾向にある。
新保守主義との相違点
国家型コミュニタリアニズムは、現代の新保守主義と親和性が指摘される。いずれも国家のレベルで共有すべき道徳的な価値観を掲げている。違いは、国家型コミュニタリアニズムが「連帯」の観点から労働者階級の生活水準を高めるべきだと発想するのに対して、新保守主義は、最も恵まれない貧困層に対してのみ「思いやりの施し」をしようとする。言い換えれば、国家型コミュニタリアニズムは、所得格差や資産格差を縮小すべきと考えるのに対し、新保守主義は、「格差」ではなく、「貧困」こそが問題であるとみなしている。
また、国家型コミュニタリアニズムは、経済成長をターゲットとするマクロ経済学にはほとんど関心を寄せないが、新保守主義は、経済成長と道徳の発展の両方を、明確な目標としている。また、国家型コミュニタリアニズムは、市場経済に対する倫理的介入を目指すのに対して、新保守主義は、介入主義に賛成せず、国家による包摂を、文化や政治の面で実現しようとする。
アメリカでの立場
国家型コミュニタリアニズムは、福祉国家型のリベラリズム思想と並んで、アメリカでは福祉国家体制を擁護する民主党の理念とされてきた。アメリカでは、国家型コミュニタリアニズムを代表するサンデルと、リベラリズム(福祉国家型)」を代表するジョン・ロールズが、論争において対峙したものの、経済政策においては、福祉国家体制を擁護する点で一致している。二人の違いは、政治的なレベルで共同体的な価値観をどこまで認めるかにあった。争点はその後、「リベラル-コミュニタリアン論争」へと発展している。
代表的な思想家
- アミタイ・エツィオー二 - 『新しい黄金律――「善き社会」を実現するためのコミュニタリアン宣言』(永安幸正訳、藤沢大学出版会、2001年)
- チャールズ・テイラー - 『自我の源泉―近代的アイデンティティの形成』(下川潔、桜井徹、田中智彦訳、名古屋大学出版会、2010年)
- マイケル・サンデル - 『リベラリズムと正義の限界(原書第二版)』(菊地理夫訳、勁草書房、2009年)
- ベンジャミン・バーバー - 『ストロング・デモクラシー――新時代のための参加政治』(竹井隆人訳、日本経済新聞社、2009年)
地域型コミュニタリアニズム
地域型コミュニタリアニズムは、国家の規模と役割を縮小して、地方自治体・地域共同体を重視する。それぞれの地域が、それぞれの文脈に応じた価値観を形成すべきであると主張する。地域型コミュニタリアニズムにおいては、社会全体の秩序に対する関心が薄く、国家は人権を保障せずとも、あるいは秩序を維持せずとも、ローカルな共同体を支援するならば、その正統性を保持することができるとみなされる。
ただし、地域型コミュニタリアニズムのなかにも、政府を否定するアナキズムの立場や、政府主導の分割統治を求める立場など、色々ある。地域型コミュニタリアニズムの徹底はアナキズムに至るが、これに対して例えば、マイケル・ウォルツァーの立場は、国家の役割を積極的に認める点で、国家と地域の多元的で複合的なコミュニタリアニズムを目指すものといえる。
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関連項目
- 国家
- 保守主義/資本主義/無政府主義/社会民主主義/社会主義/共産主義/新自由主義
- ナショナリズム
- 愛国
- グローバル化
- 公/私
- 公共
- マイケル・サンデル - アメリカのコミュニタリアン、政治哲学者
- 宮台真司
- 國分功一郎
- <哲学>
- 政治
- 経済
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