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さむらかわちのかみ
佐村河内守 ( さむらごうち まもる )は、広島県出身の全聾(自称)の作曲家(自称)で、あった(本人が謝罪、後述)。
1963年9月21日、被爆者の両親の下に広島県佐伯郡五日市町(現広島市佐伯区)に生まれた。佐村河内とは珍しい姓だが、著書『交響曲第一番』(講談社;2007年)によれば、佐村河内家は能美島の出で、村上水軍の末裔とのことである(自称)。 そのためかはわからないが、クセのある長髪にあごヒゲを蓄えた、浮世離れした威厳ある風貌をしている。
1998年頃、35歳のときに聴覚を失うなか映画やゲーム『鬼武者』の音楽を皮切りに本格的に音楽制作に取り掛かり、2003年秋『交響曲第1番 HIROSHIMA』を完成させ、アメリカの雑誌「TIME」には『digital-age Beethoven(現代のベートーヴェン)』と言わせしめ(※ただしTIME誌原文“Mamuro Samuragouchi: Songs of Silence. Video-game music maestro Samuragoch can't hear his own work”を参照すればわかる通り、この記事は2003年秋に作られたとされる『交響曲第1番 HIROSHIMA』よりも前の2001年9月15日に書かれたもので、ゲーム「鬼武者」などの音楽を手がけたゲーム音楽作曲家としての佐村河内守氏に対して「デジタル時代のベートーヴェン」と表現しただけのものであり、NHKスペシャルなどのテレビ番組が故意に印象づけたような『交響曲第1番 HIROSHIMA』を作曲し、それを世界が認めて「現代のベートーヴェン」と評したというものではない)、広島市からは市民賞(広島市民表彰)を受賞した人物。
「新進作曲家のもっとも清新にして将来性に富むオーケストラ作品」を対象とした芥川作曲賞の選考過程においては審査員である三枝成彰が推すも最終候補とならなかったが、「NHKスペシャル 魂の旋律 ~音を失った作曲家~」(2013年3月31日放映、NHK)で大々的に紹介されると交響曲第1番のCD売上がオリコン週間総合チャートで2位を獲得、その驚異的な売上を紹介する形で「めざましテレビ」(2013年4月11日、フジテレビ)、金スマこと「中居正広の金曜日のスマたちへ」(2013年4月26日、TBS)でも取り上げられ、数万枚売れればヒットと呼ばれるクラシック界で約17万枚もの売上(2013年8月時点)を記録した。
そして、ついにはソチオリンピックにて、フィギュアスケートの高橋大輔がショートプログラムの演技に彼の楽曲「ヴァイオリンのためのソナチネ 嬰ハ短調」を使用すると報じられた。
このように佐村河内守の名声が上がり続けることに対し、彼の一連の楽曲を本当に作曲していた桐朋学園大学の音楽講師 、新垣隆氏が世間を騙し続けることについに耐え切れなくなり、2014年2月に週刊誌に一連の事実を告白、さらに同月6日に行われた同氏の記者会見によって衝撃の事実が判明した。
説明を続ける前に公式サイトに載せていた佐村河内守氏のプロフィールがあるのでまずはそのままご覧頂きたい。
4歳で母親がピアノの厳格な英才教育を始める。 小学校(広島市立五日市南小学校)4年生でベートーヴェンのピアノソナタやバッハを弾きこなす。 |
このプロフィールに対し、記者会見によれば、新垣氏は彼のゴーストライターであり、これまで彼の作品とされてきた曲(細かい検証はまだなされていないが、新垣氏の主張するところによればほぼすべて)は、その実、新垣氏の作品であったというのである。
それどころか、佐村河内氏は全聾などではなく普通に耳が聞こえ、手話や筆談等無しの通常の会話で新垣氏とやりとりし、新垣氏が作った曲を聴いて採用を判断していたという。テレビ番組では彼は杖をついていたが、新垣氏と会うときは杖をつかずに現れたときもあり、佐村河内氏の音楽能力は「ピアノは初心者程度」で「楽譜は書けない」レベル、作曲に当たってはグラフのような指示書を渡して曲のイメージを伝えることもあれば、それすらなしに作曲を依頼されることもあった、とのことであった。
なお今回公表された指示書について、記者会見当日に大阪のニュース番組「かんさい情報ネット ten.」に出演していた「なにわのモーツァルト」キダ・タロー氏は「何の意味もない。猫でも書ける」とその指示の曖昧さを酷評している。
記者会見はニコニコ生放送でも放送されたので、アーカイブを再生できる方は以下で視聴することができる。
また、同会見を文字起こししたニコニコニュースの記事は、以下で閲覧できる。
この会見に対して佐村河内守側は、弁護士を通じて障害者手帳を根拠に彼が全聾であることを主張したが、広島市から受けた市民賞については返納する旨の申し入れを市に行い、市民賞の取り消しが決まった。
一連の騒動を受けて彼のCDは取り扱い中止、楽曲配信も停止、予定していたコンサートも中止、自叙伝の著書「交響曲第一番」は通常版(講談社)文庫版(幻冬舎)ともに絶版、彼のインタビュー記事を掲載した号の月刊誌「家庭画報」が新規出荷を停止、福島県本宮市が佐村河内に作曲を依頼した市民の歌「みずいろのまち」は東日本大震災3年の追悼式典で発表される予定だったが破棄、などと大騒ぎになっている。
『鬼武者』のサウンドトラックなどは一気に高騰し、いまやAmazonで4万円近くの値をつけるに至っている。
著作権に関する諸々が解決された暁には、新垣隆氏を正しい作曲者とした新たな形態での出版・発売も考えられるが、『HIROSHIMA』などの人気曲はともかく、ゲームシリーズそのものが終了して久しい『鬼武者』のサウンドトラックの再販などはかなり危うい。またそもそも、評価が高い楽曲とはいえ、こういった騒動が起こってしまった以上、作曲者が新垣氏かどうかに関わらず、二度と販売されない可能性も十分ある。
新垣隆氏の記者会見から沈黙を続けていた佐村河内氏であったが、2月12日未明になって事態が大きく動き出す。
佐村河内守氏から2月11日付で謝罪文が発表された。謝罪文全文は以下の通り(原文は縦書)
今まで私の起こしたことについて深く謝罪したいと思いペンをとりました。 |
要約すると、以下の通りとなる。
この文章を信じるならば「NHKスペシャル」や「金スマ」等のテレビ番組を収録したのは3年以内であるから、収録時に体調次第で耳は聞こえていたことになる。
また、佐村河内守氏の障害者手帳の内容はプロフィールが正しければ「身体障害者手帳(感音性難聴による両耳全聾、身体障害者等級第1種2級、両耳鼓膜欠落)」とあるが、鼓膜を再生手術するなどして機能がやや回復したか(ただし2級レベルは内耳または内耳から聴覚中枢に至る部位の機能もおかしくなっているのが普通である)、感音性難聴ではなく聴覚に関わる部分に全く器質的な障害が見られない機能性難聴(ヒステリー性難聴)だったか、聴覚検査が精密に行われておらず聴覚障害はあったものの聴覚又は平衡機能の障害2級の「両耳の聴力レベルがそれぞれ100デシベル以上のもの(両耳全ろう)」までの障害ではなかった、などの様々な可能性が考えられるが、いずれにせよ彼の耳の状態については再検査が求められる状況であった。
続く2月13日(現地時間)、高橋大輔は予定通り「ヴァイオリンのためのソナチネ」でショートプログラムを演技した。国際映像でのテロップ表記は「DAISUKE TAKAHASHI - SONATINO FOR VIOLIN」で、作曲者表記(BY Mamoru SAMURAGOUCHI)等はなく、unknown(作曲者不詳)扱いのままであった。
2月15日、佐村河内氏を弁護し、マスコミ対応も行っていた担当弁護士2名が、突如佐村河内守氏の代理人活動を辞すると発表を行った。弁護士側から発表された内容は以下のとおりである。
「当職らは、都合により、佐村河内守氏の代理人を辞任いたしました。その具体的な経緯、理由につきましては、弁護士の守秘義務の問題があり、お答えできませんので、あしからずご了承下さい」
2月18日、佐村河内氏に対して障害者手帳を発給していた横浜市は会見を行い、佐村河内氏が横浜市の担当者と面会した結果、近く市が指定する医師の聴覚機能の再診察を受けることに佐村河内氏が同意したと発表した。ただしこの会見によれば、横浜市が佐村河内氏とアポイントメントできたのは15日までに辞任した担当弁護士を通じて行えたとのことであり、佐村河内氏は横浜市内の自宅マンションではない別の場所にいるとのことから、この時点においても佐村河内氏の謝罪会見への道筋は不透明なままであった。
佐村河内氏が会見を開かないのに業を煮やした新垣氏は2月27日発売の「週刊文春」に新たな手記を寄せ、佐村河内氏の謝罪文にはまだ嘘があり、3年前から耳が聞こえるようになったという部分について「(出会ってから)18年間、ずっと聞こえていたのだと思います」と否定した。その根拠として、新垣さんが作った曲のテープを佐村河内さんが聴いて内容を判断していたこと、電話で普通に会話していたことなどを挙げ、改めて謝罪文で彼が約束した公の場での会見を一刻も早く開くよう求めた。
これらの動きにも頑なに沈黙を守り続けていた佐村河内氏側であったが、遂に3月6日、佐村河内氏は、3月7日午前11時より、都内で会見を行うことを直筆FAXで発表した。FAX中で、会見では「横浜市の申請によって受けた医療検査の結果についてもきちんとお話しいたします」とし、新垣隆氏らの発言に対しては「事実とは異なる点がありますので、自分の言葉でご説明させていただきたい」と予告し、そして会見の日を迎えた。
3月7日午前11時、まだ佐村河内氏が姿を表さない段階で、報道各社に聴力検査の再診断書の内容が配られた。その内容が「身体障害者福祉法に基づく聴力障害には該当しない」となっていたことから、会見が始まる前から会場はどよめきと異様な空気に包まれた。そして開始予定より遅れること数分、佐村河内氏が会見場に登壇した。
佐村河内氏は(↑のサムネイル写真のように)、トレードマークだった長髪を短くきり、サングラス、手につけたサポーター、杖といったそれまで必需品だと語っていたはずのものを外して登場し、会場を驚かせた。冒頭、彼は起立したまま、リスナー、CDの購買者、関連書籍の出版社、レコード会社、関連番組を放送したテレビ局、フィギュアスケートの高橋大輔選手などの名前を挙げて謝罪し、それから着席した。
当初の予定では会見場に椅子を3つ用意するよう指示があったそうだが(会見までに新たな弁護士が任命された場合の同席用と思われる)、結局用意された椅子は佐村河内氏用の1つのみで、彼のほかには手話通訳者が佐村河内氏の斜め前方に位置する形で、会見は始まった。
まず佐村河内氏は、改めて受けた聴力検査によって「感音性難聴」と診断されたものの、身体障害者福祉法に基づく聴力障害には「該当しない」という結果になったと公表。その結果により障害者手帳を返納したと明らかにしたが「障害者年金は一度も受け取っていない」と主張した。手話通訳の必要性については「(聴き取れる時もあるというのは)説明が難しいが、音声がひずんで聴き取れないことがほとんどであり、手話通訳を必要としていることはうそ偽りない」と説明した。
佐村河内氏は反論の主張をまとめた原稿をまず一方的に読み上げ、そして11時25分頃から報道各社の質疑応答に入った。
会見において彼が強く強調したのは新垣隆氏への強い「意趣返し」であった。要点を箇条書きにしてまとめる。
その後、新垣氏の発言と主張が食い違っていることについて問われると「新垣さんほかを名誉毀損で訴えます」とはっきり宣言した。
質疑応答は予定していた2時間を大きくオーバーし多岐にわたった(ex.なぜ補聴器を付けないのか?→補聴器を付けても感音性難聴は音が籠もるためつけていない。補聴器自体は3台持っている)。それらすべてを拾うととんでもなく長文になるため会見の詳細は アーカイブ動画 を見るか、ニュースサイト等で各自読んでいただきたい。
奇しくも謝罪会見の最初と最後の質問者はニコニコ動画であった。会見終了時間の押し迫った13時30分頃、七尾功氏は次のように質問した。
「現在40万人が見ており生中継されてます。その中で手話の方が伝えるより早く答えていると疑問視されてます。佐村河内さん自身が手話ができるのか見せてください」
すると、佐村河内氏は立ち上がり、まるで練習してきたかのような淀みのない素早い手話で、だいたい以下のような内容の手話を披露した(ように思われた)。
「私の名前は佐村河内守といいます。今回私は悪いことをしました。日本中の皆様にお詫び申し上げます」
これに対して七尾功氏が、手話がわかる人間が横に居ることを告げ、いまの手話の内容について詳しく検証しようとすると佐村河内氏が急に慌てて質疑応答を打ち切り、これが最後の質問となり会見が終了した。会見場に次の予定があるため14時までしか使えないとの説明があり、たまたまだったのかもしれないが、最後はバタバタした印象で会見は終了した(ただし当初の会見が13時終了予定とされていたことから、時間的に見れば終了予定を延長して出来る限りの質問には回答しようという姿勢は見られた)。
結局、この会見の一番の注目点であった佐村河内氏の聴力については、脳波測定などを行った再精密検査の結果が「聴力障害には該当しない」となっていたためそれが彼の現時点の聴力の客観的事実となったが、彼は今の時点でもゴーンという耳鳴りがあるし、2002年の段階では聴力はなかったため障害者手帳の交付について問題はなかったとの従来の主張を繰り返したため、それ以上踏み込んだ質問はできなかった。
なお、この件に関して同日15時頃より開かれた横浜市の追加の記者会見の内容は以下のとおり:
佐村河内氏はこの謝罪会見を最後にテレビ等には出演しないと宣言したが、新垣氏ら関係者が納得したかどうかはわからず再反論があると思われ、同時に佐村河内氏の次の担当弁護士が内定していることと、新垣氏や出版社等への法廷闘争も匂わせたため、今後、この騒動は別の形、別の舞台で展開していくことも考えられる。
また、この記者会見の前日、日本コロムビアは同社ウェブサイト上において 社内調査等の結果を踏まえた事実関係の報告 を公表した。この文書によれば、「交響曲第1番“HIROSHIMA”」CD発売までの経緯、ゴーストライターの存在、佐村河内守氏の聴力および経歴については特に確認作業はしておらず、「第三者が関与しているらしい」といった話を同社の担当者が耳にしたことがあったものの、根も葉も無い噂に過ぎないだろうと受け流したとのことである。そして、専属契約、マネジメント契約等を佐村河内氏と結んでおらず、同社に法的な責任はなく、責任があるのは佐村河内氏側であると主張し、道義的責任についてのみ商品購入者にお詫びを行った。
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最終更新:2024/06/02(日) 18:00
最終更新:2024/06/02(日) 18:00
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