シュレーディンガーのぱんつとは、穿いているか穿いていないか、あるいはその重ね合わせの状態か、もしくはその両方の状態にあるパンツである。
概要
- 「人」、人を用意する
- 人がね、なんかね、穿いているかどうかわからないの
- なんかね、あんね、中身を観察する手法があるはず
- 観察する事は犯罪とつながってるから、あまり紳士の好みじゃない!!
- あのねぇ、なんかパンを咥えて走るような子だと、なんかパンツはいてないかもしれないような感じでね。
- スカートで隠されてると中身は観測できないと思われる。
- 人が居てスカートで隠されてて・・・
- あのさ、そろそろパンツが5割くらいの確率で消滅したかもって感じ
- わかんない。あ、でも、半分くらい穿いてないかも
- そもそも半分穿いてない、ってどうよ、なんかおかしくない?
つまり 「観測できないパンツの有無はどうなのよ?」 というパラドックス。あくまでもシュレーディンガーが量子力学の確率的解釈を批判する為に提唱した思考実験であり本当にスカートをめくったりはしていないので安心してほしい。
よく分からん。3行で
補足
言うまでもなく、世界で最も有名なパラドックスの一つである「シュレーディンガーの猫」のパロディである。
本家の実験内容及び詳細な考察は「シュレーディンガーの猫」の記事を参照されたい。
大雑把に解説をすると、
「量子力学の世界では可能性を有する複数の事象が重なりあって存在しており、
それがどちらであるかは観察された瞬間に明らかになる。それまではその複数が併存してる。」
という理論に対して与えられた。
「ではそれが猫の生死に繋がる形にして、外部から観察出来無いようにすれば、
その中身は我々が中を観察するまでは、1匹の猫の何割かが生きていて、何割かが死んでいる事になるのか」
というパラドックスである。
これを、街行く女性のスカートの中にも適用したのが「シュレーディンガーのぱんつ」である。
一般に私達はパンツを見ると「ぱんつはいてる」という事象を想像する、また実際そうであると認知されている。
だが実際にそうであるという事は証明されていないのだ。
うっかり忘れていたとか、
急いでいて穿く暇が無かったとか、
全て洗濯中で仕方なくそのままであるとか、
そもそもそういう性癖の持ち主であるとか、
可能性は非常に多く存在しており、
果たして我々はそれを観察する前から「ぱんつはいてる」と結論付けてしまっていいものか、いや良くない(反語
確認されていない中身についてはその全ての事象が重なりあって存在している事を、
紳士である我々は街行く女性からも感じ取らなければならない、という教訓である。
白であろうか。
黒であろうか。
縞であろうか。
水玉でろうか。
Tであろうか。
ぱんつはいてないであろうか。
ひょっとしたら「付いてる」であるかもしれない。
だから世界は希望に満ちている……
ここで重要なのは、この理論を展開しても女性は中身を見せてくれない、ということです。
見るには相手の承諾が必要です。承諾なくして確認作業を行った場合、犯罪に問われる可能性があります。
むしろ紳士としては見るべきではないのかもしれない。
関連動画
関連項目
- シュレーディンガーの猫
- 本稿より多数パロディをさせて頂いた
- ぱんつはいてない
- シュレディンガー音頭
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