マーティー・レオ・ブラウンとは、元プロ野球選手・監督である。
特技はベース投げ。
概要
現役時代は92~94年に広島カープでプレー。クロスプレーで捕手を吹っ飛ばす、外野フライを客席に飛び込んでキャッチし放るなどのパワフルなプレーが売りであった。
カープでの現役時代は珍プレー等が目立ちがちだが、来日二年目には120試合に出場し打率2割7分、27本塁打とそこそこの成績を残していたりする。
現役引退後はマイナーリーグなどで監督を務め、2004年にクリーブランド・インディアンス傘下のバッファロー・バイソンズをリーグ優勝に導いた実績を買われ、2006年から広島東洋カープの監督に就任する。
なお、元カープ在籍繋がりだったからか、カープの駐米スカウトエリック・シュールストロムとは監督就任前の2003年頃から繋がっていたらしく、グレッグ・ラロッカなどのバイソンズのマイナーリーガーをシュールストロムを通して自身の古巣カープに送り込んでいた。このような経緯が、後のカープとの契約に繋がっていったとされている。
来日して最初にしたことはルーキー梵英心の実家、専法寺への家庭訪問であった。
とにかく退場が多い。回数はマイナーリーグ時代から数えると25回を超えており、特に就任1年目の1シーズン三回はプロ野球史上初である。その中でも有名なのがベース投げ事件で、マイク・ロマノが暴言を吐いて退場になった際に抗議の後、一塁ベースを引っこ抜き、そのままライトスタンド方向に向けてベースを放り投げたというものである。 このベース投げはTシャツになった他、プロ野球スピリッツ4のオープニングムービーにも採用されたほど。
ちなみに、ブラウン退場になった試合は必ずカープが勝利していたが、2009年4月7日、ついに不敗神話が破れた。
なお、この試合は両軍2桁得点の乱打戦で、退場後カープが1回逆転している事を付け加えておく。
また、この退場において、プロ野球史上最短の退場(1回表2アウト)とプロ野球史上単独最多の退場(8回)も達成している。
ジェフ・リブジーという打撃総合コーチを常に付き添わせており、ブラウン監督が退場すると代理監督として指揮を執っていた。楽天(後述)に行った際も一緒だった。
あと、内野五人シフト(通常の内野手に加え外野手を内野に一人いれるシフト)はパスボールで負けるからやめてください><
しかし、2009年についに成功させた(記録はレフトゴロ)
カープが負けたり、上記内野五人シフトに代表される謎采配(外国人故か、たまに理解し難い采配がある)したりすると「ブラウンコ」などと揶揄される。
だが現役時代日本でプレーしていたことも相俟って日本の野球ファンの心理も心得ており、古田敦也の引退試合で古田の最終打席に引退試合を終えたばかりの佐々岡真司を登板させるなどのファンを沸かせる采配などはニコニコ動画内でも評価されている。→参照動画
万年二軍の選手でも積極的に一軍で使う為、いわゆる「飼い殺し」は少ない。これによりブレイクした選手に生え抜きでは東出輝裕や天谷宗一郎、他球団からの移籍選手では赤松真人や喜田剛などがいる。
上記の通り選手、球団、ファンを常に気遣う人柄もありファンからの人気が高い監督であったが、3年連続Bクラスと結果は振るわず、2009年10月7日に辞任を発表した。
その後、野村克也の退任により次期監督を探していた東北楽天ゴールデンイーグルスが就任要請を出し
11月2日、正式に監督就任が発表された。アンディ・フィリップスなど、ブラウンについて行って楽天入りした選手もいた。
しかし2010年は一度も勝率5割に届かないなどの成績不振で契約を一年残し解任された。じゃあなんでノムさんをクビにしたんだ。
その後、アメリカ3Aのラスベガス・フィフティワンズの監督に就任した後、2013年にはトロント・ブルージェイズ3Aとなっていたバッファロー・バイソンズの監督に復帰した。同チームには川崎宗則、ショーン・オチンコらが所属していたが、同年退任。
2014年はワシントン・ナショナルズの環太平洋地域コーディネーターに就任。現在もアメリカで野球職に就いている。
現状は本人のブログで知ることができる。
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