メタフィクションとは、第四隔壁の打破であり、フィクションがノンフィクションをフィクションに見立てる表現技法である。
転じて、読者を含んで言及する皮肉や婉曲表現をいう。
メタ(meta-)とは「より上位の」という意味の接頭詞、フィクション(Fiction)とは虚構の意である。
概要
虚構の物語を描く際、筆者は誰かがその物語を逐一見ていることなどを物語上では認識させず、読者は物語に直接関わる事はできない。
本来交わる事のない「虚構の世界」に、読者や筆者が存在する「現実の世界」を巻き込む物語を展開するのがメタフィクションである。
この場合の「現実」とは「読者が目を通した"今"」に関連するものであり、「現実に言及する」描写はメタフィクションには該当しない。
第四の壁
演劇用語。通常、演劇においては「舞台両脇」「舞台裏」という、舞台とは隔絶した3つの隔壁を想定している。同様に、舞台上において「観客と舞台を仕切る見えない隔壁」を想定することがある。
その見えない障壁を第四の壁(第四隔壁)という。
こうすることにより、役者は舞台上と客席はそれぞれ別の空間であると認識し、「観客に観られている」のではなく「劇を演じている」ことに没頭できる。
だが、一部演劇ではこの第四の壁を意図的に打破することがある。
「いるかどうかもわからない観客に観られている」状況を逆手にとって、観客を巻き込むようなネタを挿入し、「劇中の時間」と「観客の時間」を混同させるのである。
たとえば、それとなく「今日は私の英雄譚をご覧になってありがとう」といった観客に言及した発言をしたり、観客を舞台上に呼び出してチョイ役にする、といった行為である。これも一種のメタフィクションといえる。
ニコ厨的に例えれば「液晶が邪魔」。この場合、ディスプレイが第四の壁として機能している。
メタフィクションを扱った作品の例
ゲーム『マザー2』では、ある場面において「プレイヤーの氏名」を入力するように求められるのだが、その名前はラスボス戦の意外な局面で使用され、「プレイヤー自身が主人公たちを救う最後の希望になる」という演出がある。
エロゲー『臭作』では、主人公・臭作がプレイヤーに登場ヒロインへの性的行為を選択するよう促し、その後「それをネタに脅迫して臭作がプレイヤーの(犯罪的)選択を監視し、臭作に監視されてヒロインへの性的行為を選択するプレイヤー」という臭客転倒の状況を作り出す。
アニメ『勇者特急マイトガイン』では、ロボットアニメとそれに関わるオモチャ会社のスケジュールなどを皮肉ったエピソードが頻繁に描かれ、最終話ではラスボスが「自分はこのゲームの世界を支配する三次元人だ!」と暴露するシーンがある(ラスボス自身も三次元人に操られる駒、すなわちアニメのキャラクターに過ぎなかったことも判明するが)。
特撮番組『仮面ライダーディケイド』は、「主人公が既存の仮面ライダーの世界を彷徨いながら自身が生きていた本当の世界を探し求める」という物語だったのだが、最終的に「主人公=仮面ライダーディケイドは既存のシリーズでは不可能だった作品間クロスオーバーを可能にする為に生まれた存在であり、彼自身が生きていた本当の世界(クロスオーバーの絡まないオリジナルの世界)は存在しない」という事実が明かされる。
アメコミ『X-MEN』の登場人物、デッドプールには「第四の壁を認識している」という設定がある。彼は作者や編集者にストーリー展開への文句を言ったり、ナレーションと会話するなどの暴挙を行っているが、他の登場人物からは「狂人の妄言」としてスルーされている。
刑事ドラマ『古畑任三郎』では、事件が終盤に差し掛かるとドラマパートの真っ最中であるにもかかわらず、場面転換すら挟まずにその場でドラマを停止させ、唐突に視聴者に語りかけてくるという、まるで舞台演劇のような演出がある
これは名探偵『エラリー・クイーン』のテレビ・ムービー版を元にしている。
4コマ漫画『キルミーベイベー』では、本作掲載前に没になったキャラクターがアニメ化の際「没キャラ」という名で登場する。
>自身が没キャラであることを自覚し、出番を求めて奔走するが悉くスルーされ、名前を聞かれても名乗る名がなく困惑するなどのメタネタを披露する。
童話『くまのプーさん』では、作者が自身の息子「クリストファー・ロビン・ミルン」をモデルにした人物を登場させており、作中でも語り手が息子の「クリストファー・ロビン」に物語を聞かせている場面が挿入されている。
ディズニー作のアニメ版でも本の挿絵が動き出す演出から始まり、活字部分にキャラが飛び出しナレーターと会話するなど作中劇であることが示唆されている。
関連項目
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