- プロ野球選手一覧 > 井上祐二
概要
OB | |
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井上祐二 | |
基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 宮崎県日南市 |
生年月日 | 1963年3月2日 |
身長 体重 |
183cm 91kg |
選手情報 | |
投球・打撃 | 右投右打 |
守備位置 | 投手 |
プロ入り | 1980年 ドラフト2位 |
引退 | 1997年 |
経歴 | |
選手歴 監督・コーチ歴 | |
プロ野球選手テンプレート |
高校は都城高等学校に進学。2年時にエースとして夏の甲子園大会に出場し、初戦で完封勝利を収めたが3回戦で敗退。
1980年のドラフト会議にて、南海ホークスから武藤一邦の外れ2位として指名され入団。
1981年、シーズン最終戦に先発登板し、6回1失点でプロ入り初勝利。高卒新人による初登板初勝利は当時史上4人目の出来事であった。
1982年からは先発ローテーションに定着。防御率こそ4~5点台と悪かったが、1982年には5勝9敗、1983年には6勝10敗と言う成績を残し、1983年は初の規定投球回にも到達している。
1984年、開幕直後に腎臓病を発症し入院。ほぼシーズンを棒に振ってしまった。
1985年、体調が完全に戻らない中で登板を重ねたため、2勝13敗、防御率5.40と、やや低調なパフォーマンスに終始してしまった。
1986年シーズン途中からリリーフにまわり、4勝8敗11セーブ、防御率4.39の成績を残し、抑え投手に定着。
1987年には6勝2敗14セーブ、防御率3.24と好成績を残すと、1988年には8勝3敗20セーブ、防御率2.35と安定感抜群の投球で守護神として活躍。
1989年、リーグ最多の57試合に登板し、6勝2敗21セーブ、防御率3.30の成績を残し、初の個人タイトルとなる最優秀救援投手を受賞。ファイアマン賞も受賞した。
1990年、チーム事情もあり先発投手中心に起用されたが、5勝8敗、防御率4.70と今一つな成績に終わる。
以降の年は中継ぎ投手などで起用されたがなかなか復調せず、1994年シーズン途中、金銭トレードで広島東洋カープへ移籍。
広島移籍後は中継ぎエースとして起用され、1995年には52試合に登板し、4勝3敗5セーブ、防御率2.68の好成績を残したが、翌1996年は41試合登板で3勝3敗、防御率5.36と精彩を欠いた。
1997年、近藤芳久とともに無償トレードで千葉ロッテマリーンズへ移籍。同年13試合に登板し1セーブ、防御率5.14の成績を残したが、この年限りで現役を引退した。
引退後はそのままロッテに残り、2012年まで15年間一、二軍で投手コーチを務め、その後はJR東日本東北やJFE東日本でコーチを務めていた。
人物・エピソード
伸びある直球とフォークやスライダーを武器に低迷期の南海・ダイエーのリリーフとして活躍した右腕。
慎重になりすぎて四球を出し走者を背負うことは多かったが、ピンチには強く、特に得点圏での被打率は低かった。
高卒新人の初登板初勝利以外にも、ダイエー身売り前の本拠地であった大阪スタヂアム(大阪球場)最後試合での勝利投手や、ダイエーホークス球団最初の勝利投手にもなっているなど印象的な活躍も多い。また、NPBで危険球による退場処分を初めて下された選手でもあった。
通算成績
投手成績
通算:17年 | 登板 | 完投 | 完封 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 投球回 | 与四球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 防御率 |
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NPB | 487 | 13 | 3 | 54 | 68 | 77 | --- | .443 | 1186.2 | 500 | 749 | 640 | 581 | 4.41 |
獲得タイトル・表彰
関連項目
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