代表落ちとは、競技人生を左右する一大事である。
概要
スポーツにあまり興味を持たない人からは大したことないように見える、いわば2位じゃダメなんでしょうか?な状況なのだが、
全世界規模で行われる競技会の参加者として名前を残せないのは、競技によっては世界的に知名度を広める機会が失われるという点でもダメージが大きいのである。
以下に、代表選手選定をめぐる騒動の一例を紹介。
松野明美の例
テレビのバラエティ番組にて、故郷の熊本なまりでまくしたてる、何かとやかましいおばちゃんというイメージが拭えない松野氏。
ああ見えてと言うと失礼なのだが、元は女子陸上長距離走のスターであり、1988年開催のソウルオリンピックに1万m走の代表選手として出場もしている。
1991年からマラソンに転向、翌1992年のバルセロナオリンピック代表選手選考会も兼ねた大阪国際女子マラソンにて2位を記録。男女各3人ずつに与えられるマラソン代表選手に選ばれるとばかり思われていた。
しかし実際に選ばれたのは、1991年の世界陸上で2位を記録した山下佐知子、大阪国際で優勝した小鴨由水に加えて、世界陸上で4位に入賞し、大阪国際はけがで欠場していた有森裕子だった。
松野の走破時間が2時間27分02秒、有森の走破時間が2時間31分08秒と、国際大会か国内選考会かというレースの箔は別としても、数字上では優勢なはずからの落選にショックを隠せず、松野は記者会見にも姿を見せなかった。
どのレースの記録を参考にするのか、陸上競技連盟の選定基準が不明瞭なのが最大の原因だが、有森が五輪で銀メダルを受章したことにより、この騒動の重みは一気に薄れてしまう。
そんな経緯もあってか、1995年に引退後、自身と同じ苦渋を味わうことがないよう、五輪マラソン代表選手公表の時期が近づくと、松野がテレビの情報番組にて、公平性の見える選考をしてほしいと訴える光景がしばしば見られた。
なお、松野の近況はというと、次男のダウン症発症により、タレント活動を地元九州管内に制限したのち、
2010年より、故郷植木町の合併先である現熊本市の市議会議員として活動を開始。2015年からは熊本県議会議員になり、2022年には参議院議員へと転身している。
一方の日本陸連も、東京オリンピック(2020年)の代表選手選考にあたって、連盟指定の大会ならびに走破時間をクリアして上位入賞を果たした選手だけが参加できるマラソングランドチャンピオンシップ(略してMGC)を創設。2024年に行われるパリオリンピックの代表選手も、前年のMGCの成績を見て選定すると明言されている。
三浦知良の例
ゲームだけであったとしても、サッカーに触れた日本人なら誰もが知ってるリビングレジェンド「キングカズ」。
1998年に行われたワールドカップフランス大会への出場をかけた予選において、日程が終盤へと進むにつれてゴールを残せなくなり、サポーターから不要論が起き始める。それでも日本代表の中心選手として出場を続けていたカズだが、スイスでの直前合宿の場で、北澤豪、市川大祐らとともに落選を告げられる。
代表監督が岡田武史からフィリップ・トルシエに交代した後も代表召集の機会こそあったが、2002年のワールドカップでも、スタッフとして幅広い立場での参加を望んでいたトルシエと、あくまでも現役選手として参加したかったカズの意向に折り合いがつかず破談になっている。
その後、サッカー日本代表に名を連ねることはなくなったが、2012年にはフットサルで日本代表となり、こちらのワールドカップでもゴールを残している。
EXVSにおける代表落ち
機動戦士ガンダムエクストリームバーサスの界隈においては語の意味が大きく異なり、
体力がミリの状態で覚醒を発動させ、覚醒状態のまますぐに撃墜されることを指している。
この概念を広めるきっかけとなったプレイヤーの名は「ダイゼンラー」。
氏が生放送でEXVSをプレイし、クロスボーンガンダムX1を自機に選択しているとき、覚醒中しか使えないチャージショットの核弾頭をよく狙っていた。
一時期は凄まじい命中率を誇り、課金してるんじゃないか説まで出ていた。
しかし、体力がミリの時に覚醒→核弾頭発射→即覚醒落ちという失態を何度かしているうちに、いつしか覚醒→即覚醒落ち=代表落ちという認識がリスナー達についていた。
要するに戦犯をオブラートに包んだ言い方である。
その後、X1以外でも覚醒落ちをするようになり、そのたびに「代表落ちだ!」とコメントする視聴者が増えた。
このようにEXVSでの代表落ちは感染するもよう。
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