ソウルオリンピック(Seoul Olympic)とは、1988年開催の第24回夏季オリンピック(Games of the XXIV Olympiad)である。
アジア地区では1964年の第18回の東京についで2度目の夏季五輪であり、韓国はアジアで2番目のオリンピック開催国となった。
概要
夏季オリンピック | |
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ソウルオリンピック | |
正式名称 | |
第24回オリンピック競技大会 | |
Games of the XXIV Olympiad | |
基本情報 | |
開催国 | 韓国 |
開催都市 | ソウル |
開会式 | 1988年9月17日 |
閉会式 | 1988年10月2日 |
競技種目数 | 23競技237種目 |
参加国・地域 | 159 |
新採用/追加競技 | |
オリンピックテンプレートボックス |
当初1988年夏季五輪に日本の愛知県名古屋市も立候補し有力視されていたが、決選投票でソウルとの一騎打ちとなり、名古屋は27対53の大差で敗れ名古屋オリンピックは幻へと消えてしまった。圧倒的有利とされていた名古屋が敗れたのは大人の事情があるとも言われている。名古屋開催が実現していたら30年後のこの地はどんな進化を遂げていたのだろうか。
こうして五輪開催地がソウルに決まったものの、当時の韓国にはオリンピックに向けてインフラ整備を自力で行う余裕すらなく、結局日本から10億ドルの援助を受けオリンピックは開催された。この援助がまさか30年後の冬季五輪でも行われるとは…
国名 | 都市名 | 1回目投票 |
大韓民国 | ソウル | 52 |
日本 | 名古屋 | 27 |
なお現在も吹奏楽曲として人気の高いジョン・ウィリアムズ作曲の『オリンピック・スピリット』はこの大会が初出。意外や意外。
史上最悪の開会式(ハト焼死事件)
放たれた鳩が聖火台で羽を休めているときに点火、鳩が焼け死ぬ瞬間を世界に配信してしまった。平和の象徴であるはずの鳩が無残に焼け死ぬとは…いかにも皮肉である。アメリカ・タイム誌は史上最悪の開会式だと酷評し、一部のニコニコ動画ユーザーは、この事件をソウル七輪と揶揄している。
オリンピック憲章では”聖火への点火につづいて、平和を象徴する鳩が解き放たれる”となっているので、運営側のミスで順番を間違え先に鳩を放ってしまったと考えられる。
それだけではなく、冬季オリンピック開催地など鳩に適さない寒い環境に放つことに対しても抗議などもあり、以後のオリンピック開会式では、模型の鳩だったり風船に置き換えることが多くなった。
1998年冬季・長野オリンピックでは鳩の風船を使っている。
なおYouTubeのオリンピック公式チャンネルでは開会式のアーカイブが上がっており、この事件の一部始終がしっかり収録されている。視聴の際は注意。
盗まれた金メダル事件(韓国サイドの買収)
ボクシング競技ライトミドル級の決勝戦で2度のダウンを奪い圧倒的有利のはず、アメリカのロイ・ジョーンズ・ジュニアが、地元韓国の朴時憲に不可解な判定負けをした。
敗れたジョーンズは泣きながら「盗まれた金メダルを返してほしい」と訴えた。後の調査で韓国サイドの買収があったことが判明した。
ボクシング大乱闘事件
さらに同競技ではもう一つ事件を起こしている。バンタム級の2回戦で、ブルガリアの選手が地元韓国の辺丁一に対して判定勝ち、すると韓国選手のコーチがリングにあがってきてニュージーランドの主審に猛抗議。これに続いて他の韓国人コーチなど関係者が続々とリングにあがってきて、ジャッジ対して殴ったりコップの水をかけるなどの大乱闘になった。
ジャッジは抗議の退席で会場からいなくなり、韓国の運営本部は残り2試合の予定があるにも関わらず、大会のライトを消しボイコットをした。そして負けた韓国選手も1時間以上もリングの座り込み抗議をした。開会式ソウル七輪でのフルボッコ、買収疑惑のストレートど真ん中に続き、今回の乱闘というダメ押しの一撃でまたしても全世界に醜態を晒してしまったのである。
直後、国際アマチュアボクシング連盟が緊急理事会を開き協議をしてチョードリー会長から裁定が発表された。韓国側の判定についての抗議を却下し、コーチ2人を含む韓国人5人を無期限資格停止処分。ニュージーランドの主審を今大会に限り資格停止処分となった。おそらく主審に対する処分は身を案ずるものであると考えられる。
巻き込まれた主審は、「これ以上審判はできない」として、即刻ニュージーランドへの帰路についた。
メダル嚙み発祥の大会
現在では恒例となっているメダルを噛む勝利パフォーマンスだが、実は最初に行われ世間に知られたのがソウル五輪だと言われている。どんな味がしたのだろうか。
競泳200m自由形金メダリストのダンカン・ジョーズ・アームストロングが最初のメダル嚙みを実行しており、日本国内でも読売新聞で『勝利ガリガリ』と報じられた。この時はそれ程国内で広まる事は無かったが、1996年のアトランタ大会で柔道の中村兼三が日本の選手で初めてメダルを噛んだ。そして次のシドニー五輪で女子マラソンの高橋尚子が金メダルを噛み、世間に大きく広まるのである。
競技結果
各チームのメダル獲得数
国・地域 | 金メダル | 銀メダル | 銅メダル | 合計 |
ソビエト連邦 | 55 | 31 | 46 | 132 |
東ドイツ | 37 | 35 | 30 | 102 |
アメリカ合衆国 | 36 | 31 | 27 | 94 |
大韓民国 | 12 | 10 | 11 | 33 |
西ドイツ | 11 | 14 | 15 | 40 |
ハンガリー | 11 | 6 | 6 | 23 |
ブルガリア | 10 | 12 | 13 | 35 |
ルーマニア | 7 | 11 | 6 | 24 |
フランス | 6 | 4 | 6 | 16 |
イタリア | 6 | 4 | 4 | 14 |
競技
関連動画
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関連項目
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