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内モンゴル自治区(内蒙古自治区)とは、中華人民共和国北部に位置する行政区画の一つ。
概要
略称は「内蒙古」。人民政府の設置都市(区都)は呼和浩特市(フフホト,Hūhéhàotè、英語はHohhot)。
北側の大部分はゴビ砂漠を隔てモンゴル、一部はロシア連邦とそれぞれ国境を接する。南側は東北(黒竜江省・吉林省・遼寧省)、華北(河北省・山西省)、北西部(陝西省・寧夏回族自治区・甘粛省)の行政区分と接している。
全体的に高度1000m超のなだらかな高原。南側には世界遺産の万里の長城がある。
面積は約118万平方キロメートル、人口約2300万人。
人口の79%が漢民族、17%がモンゴル族である。その他満州族、回族などが続く。
中国語の他にモンゴル語も公用語に指定されている。ただしソビエト連邦の影響下で、キリル文字が一般的に使用されるようになったモンゴルとは異なり、内モンゴルではモンゴル文字が使用されている。
歴史
モンゴルの歴史も参照。
17世紀、満洲で清朝(ダイチン・グルン)が成立すると南北モンゴルは清朝に征服されたが、そこで先に清朝に降った地域を「内蒙古」後に降ったハルハ族の領域を「外蒙古」と呼んだ。これが内蒙古の始まりである(正確には清朝の時代の内蒙古は現在の内モンゴル自治区と一致しない)。なお清の時代に漢民族の農民の移住が拡大した。
第二次世界大戦前後には共産主義の人民革命軍が結成され、盛んに独立運動が行われたが、結局は成功しなかった。なお第二次世界大戦中は、一部が大日本帝国の傀儡国家・満州国に組み込まれていた。
中国共産党員でモンゴル族のウーランフー(烏蘭夫)の指導により、1947年この地域に自治区政府が成立。1949年に中華人民共和国内モンゴル自治区となり、現在に至る。
独立運動
1966年から1976年にかけて中国共産党はモンゴル族に対する大規模な迫害や弾圧を行っている。
1989年の天安門事件の後、活動家・ハダ(哈达)により南モンゴル民主連盟が結成される。ハダは当局により度々拘束、投獄されている。
1997年に内モンゴル人民党、2006年にはモンゴル自由連盟党が設立。前者はアメリカ合衆国、後者は日本の大阪を拠点に活動している。
各種表記
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関連項目
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