中国共産党 | |
ちゅうごくきょうさんとう - Communist Party of China |
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基本情報 | |
公用語名称 | 中国共产党 |
国・地域 | 中華人民共和国 |
本部所在地 | 北京市 |
成立年月日 | 1921年7月23日 |
解散年月日 | -- |
機関紙 | 人民日報 |
国際組織 | -- |
シンボル | 鎌と槌 |
公式サイト | 中国共産党新聞 |
政党・政治団体テンプレートボックス |
中国共産党(ちゅうごくきょうさんとう、ゾングォゴンチャンダー)は、中華人民共和国の政党である。
概要
中華人民共和国憲法において「党の指導性」が明記されており、中華人民共和国の活動は同党の指導の下に行われる。
また、「四つの基本原則」も中華人民共和国憲法に明記されている。
8260万人の党員を有する世界最大の政党でもあり、尚且つ一党独裁として10億以上の人民を指導する。略称として中共とも呼ばれ、中央委員会の機関紙である人民日報などでもこの言葉が使われているが、日本共産党の蔑称として「日共」があるため、日本では「中共」も蔑称とされることがある。なお、「中華人民共和国」の意味で「中共」を使った場合は蔑称とされることが多い。
党指導者
政治理念
各種言語表記
中国の統治機関として
中国は4000年の長い歴史の中で文明の中心地として栄えた。しかしそのぶん戦争や暴虐な君主によって数え切れないほどの人民が苦しんだ
中国共産党はそんな残酷な歴史から人民の平等そして階級社会からの解放を掲げ小日本からの侵略に対し中華民族を守り抜いたことで、偉大なる毛沢東主席による中華人民共和国を建設し今日まで平安な暮らしをもたらした。
中国共産党は、もっと大きな目標であり理想である共産主義社会への実現に向けて努力している政党である。
毛主席の死後、鄧小平主席による改革開放により経済発展の基礎が作られたため、次第に毛主席の思想は現在の中国では影響力が薄いものになってしまった。
されど思想はどうであれ、悪しき封建社会を否定し民主主義を実現させ、さらに小日本の侵略に対して中国を守り抜いた中国共産党こそが正当な中国の統治者であることは、まぎれもない事実なのでアル。
よって中国共産党の指導に人民が口答えをすることは許されないのでアル。
概要
建国前史
1921年、コミンテルンの指導のもと上海で結党される。
当初は国民党に寄生し、主に軍閥批判の社説を手掛けていた。孫文の死後、蒋介石は共産党員の弾圧を命令する。(上海クーデター)国民党軍の攻撃に対抗するべく各共産党支部は紅軍を結成。国共内戦が開始される。
しかし国民党軍に太刀打ちできぬまま、逃げ回るばかりのヘタレっぷりをさらすうち、12500kmの行軍を経験した紅軍による勇姿は、中国史上有名な偉大なる「長征」として語り継がれるのであった。
滅亡寸前まで国民党に追い詰めながらも、西安クーデターによって一命を取り留める。張学良に誘拐された蒋介石は、とりあえず犯人の要求通り日本軍への警戒を優先するべく、共産党と手を結ぶのであった。
日中戦争が勃発すると、紅軍は「八路軍」、「新四軍」として抗日戦線の軍隊に編入された。
とくに、八路軍が日本軍への総攻撃を仕掛けた「百団大戦」は、日本陸軍に三光作戦(儘滅作戦)を決行させたほど気を狂わせた。一方、ここでようやく名前が出てくる毛沢東が唱えた漁夫の利戦略(持久戦論)に従って、勢力を蓄える。
終戦後。蒋介石は和平を一方的に無視し共産党へ攻撃を仕掛ける。ふたたび国共内戦が勃発するのであった。
前回のような袋叩きにされた紅軍とは違い、民衆の支持を背景に国民党と互角に戦えることができた。
さらに戦争の状況を傍観していたソ連は物資援助を国民党から共産党へ切り替える。
こうしたソ連の恩恵により、さらに強化した人民解放軍(旧紅軍)に太刀打ちできぬまま、国共内戦は国民党の敗北に終わるであった。
※このとき、台湾へ逃げた去った蒋介石をワタシたちは見逃してあげたのでアル!
だから台湾は中国の領土アルネ。これ常識よ。
共産党軍の勝利が確定したころ、この時ばかりは協議を重んじた毛沢東の提案によって行われたのが政治協商会議である。そこで、新しくできる中国の大まかな青写真が練られた。
かくして1949年10月1日。
毛沢東主席による建国宣言が声高らかに発せられた。民衆の沸き上る歓声とともに中華人民共和国は誕生したのである。
毛沢東時代
農民への土地分配や戸籍制度を整えることで、内政の改革が進められた。一方で国民党の残党、資本家、知識人階級を粛清するといった恐怖政治も行われている。
15年後にはGDP世界一位を目指すソ連に誘発されて、(あくまで)二位をめざす中国でも大規模な計画経済が発動された。(大躍進)
このころ、各地で人民公社が設立される。
これはごく簡単に言えば、農地を管理するかわり加入者にタダ飯を提供するところである。もともとは「合作社」と呼ばれていた。
それに付け加え、社会保障や教育など本来なら政府が行うべき仕事をまかされることで、農民の面倒をみていた。
しかし、どうせタダ飯が食えるんだから働いたら負けっと感じた農民の労働意欲は低下していった。さらに先に触れた大躍進の号令により農民は鋼鉄の生産や公共事業工事へ駆り出されていった。そのため農作業を行う農民が減少し、農作物の生産が著しく減った。大量の餓死者を出してしまったのである。
そんな安定しない治世が原因で、毛沢東は政権から身を引く。(七千人大会)
かわりに政権を担った劉少奇は、いままで毛沢東が行った政策を見直すことで、国内を安定化させる。
それを面白い目で見ていなかった毛沢東は、嫁の江青に頼んで裏から劉少奇批判の宣伝工作を各地に展開したのである。
そのうえ、スターリン批判をきっかけに中ソ対立が起こると、ソ連に代わる強い社会主義国家を築くべく毛沢東の戦略がめぐらされた。
それが、膨張された結果、起こったのが悪名高い「文化大革命」である。
学生を中心に結成された紅衛兵。労働者を中心とする造反派による暴動が活発化される。
やがて混乱の収束がつかなくなった劉少奇は失脚。紅衛兵による激しい虐待をうけ、死を迎える。
政権奪還を成し遂げた毛沢東。
しかし、四人組の暴走を止めることができないまま、文革は継続された。
1976年9月、英雄毛沢東は独裁者として息を引き取ったのである。
鄧小平時代
毛沢東の後継者となった若き華国鋒は、権力を確かなものにするため、さっそく四人組の逮捕を決行する。
だが、革新的な政策が見当たらないまま人々の人望は鄧小平へと移り変わっていくのであった。
1978年12月、政権奪取に成功した鄧小平は、文革の終了を正式に告げる。今後は国内の発展を優先的に取り組むことを明言した。(第11期3中全会)
さっそく亡き周恩来が提言した「四つの現代化」を実践するべく改革開放路線を進めていく。
そのため、各地に経済特区を指定していった結果、経済成長率が8%台までに上昇していった。
しかし、言論の自由も活発になり始めたため、民主化デモがおこり始める。
そんな民主化に理解を示した胡耀邦総書記は、鄧小平の右腕として手腕を発揮していた。だが、彼の穏健な姿勢が老幹部を始め親分の鄧小平との意見が食い違う結果となり失脚。
これは日本にとっても無関係な話ではない。親日政治家でもあった胡耀邦のイメージダウンを防ぐために行った、日本のお節介こそが、靖国参拝を自粛したことである。しかし、皮肉にも以後の靖国問題といった余計な外交問題をつくってしまうのでアル。
胡耀邦の失脚によって空白となった総書記の座には、鄧小平のもう一人の部下、趙紫陽をエスカレーター方式で就任させる。しかし、改革開放によって引き起こされたインフレ問題を解決できないまま、不安定な政権がつづく。
胡耀邦の死後、その追悼式に集まった市民らは、彼の名誉回復を嘆願するため、天安門広場に集結する。
が、成り行き任せに大規模な民主化デモへと移り変わり、1989年6月、世に有名な天安門事件が起こる。
デモの味方をした趙紫陽は老幹部の支持を失うことで失脚。ふたたび空白となった総書記の座には、二階級特進で江沢民が選ばれる。
天安門事件の反省をうけて、改革開放を見直す議論が政局内部で行われた。
ここで、鄧小平最後の見せ場であるのが「南巡講和」である。老体に鞭を打ちながら上海などの経済特区におもむき、マスメディアに向かって改革開放の必要性を訴える。
これにより、一党独裁制と市場経済の導入が正式に盛り込まれた「社会主義市場経済」が成立するであった。
こうして鄧小平は後のことをすべて江沢民に託す。
一方で、49歳という異例の若さで胡錦濤が国家副主席に就任する。事実上、江沢民の次のリーダーに抜擢されたのである。
背景には、戒厳令を布きチベット暴動をねじ伏せた胡錦濤の決断力が評価されたためと言われている。
経済成長の基礎を築いた鄧小平。
香港返還が行われる直前の1997年2月、天寿を全うするのであった。
近年の情勢(江沢民と胡錦濤政権)
毛沢東、鄧小平といったカリスマ的リーダーの跡を継ぐことになった江沢民。当初は貧乏くじを引いたと思われていた。1994年、愛国教育(反日教育)を命令することで、支持率の上昇を試みる。
しかしその結果、それまで良好だった日中関係が悪化してしまったのは・・・いうまでもないアルね。うん。
その後、朱鎔基首相のサポートもあって、再びGDPの成長率も10%台に好転する。前にもまして中国経済が成長していく。
台湾の李登輝総統が主張する「二つの中国」をきっかけに、台湾海峡事件が起こる。以後、台湾に脅しをかけるため軍拡が行われる。
江沢民自らの手下を政権の幹部に就任させることで上海閥が結成される。それに対抗する形で今は亡き胡耀邦の門下生にあたる胡錦濤率いる中国共産主義青年団(共青団)との派閥争いが激しさを増す。
江沢民政権も盤石となったころ、「三つの代表」といった政策方針を取り入れることで、資本家の入党を許可する。こうして党内の政治改革を果たしたことを花道に江沢民は後のポストを胡錦濤に譲り渡す。
しかし、鄧小平の猿真似のごとく、ナンバー2として実権を握ろうとした。だが所詮は猿真似にすぎず、すぐさま胡錦濤に実権を譲歩する。
政権のトップにたった胡錦濤は、「科学的発展観」を政策方針に掲げる。それまで、目をつむりにつむってきた格差是正に取り組む。
リーマンショックの際、4兆元(55兆円)を投資することで、温家宝主導のもと大規模な内陸部開発が行われる。
国家の威信をかけた一大イベントである北京オリンピック、上海万博が開催される。中国の人権問題が世界中で話題となったため、不満を持つ声が多かった。しかしこの場に及んでもあいかわらず存在した中国クオリティーはご愛嬌とし、無事に開催を終えことができた。
派閥争いとして注目されたのが、鄧小平亡きあとのニューリーダー選抜であった。要職にはそれぞれ江沢民派と胡錦濤派の党員がほぼ均等に置かれていた。しかし、胡錦濤の次の総書記には江沢民派の習近平が選ばれた。よって政局ではいまだに江沢民の影響力が根付いていることがうかがえる。
こうして中国が主要国としての存在感が増す反面。格差、環境、人権、バブル、汚職、派閥問題など、いかに政権安定を図っていくのかが、中国共産党、そして世代交代を果たした習近平体制の今後の課題なのでアル。
国土の安全を守る中国共産党
巨大な中国を支配するためには、軍事力を充実させる必要がある。そのため中国のような巨大な国では、それなりに相応しい莫大な軍事費を費やしてもやむを得ない。
何より、かつて中国は帝国主義の侵略に対して人民は多大なる苦痛と被害を痛いほど味わったことは言うまでも無い。
その為、今後発展していく人民共和国の防衛には軍事力というものは必要不可欠なことなのでアル。
そのうえで、工業や農業を近代化させ、国を繁栄させるためには共産党による一党独裁に人民が協力する必要がある。
現在ではアメリカをも無視できないほどの繁栄と地位を築き上げた中国共産党がどれだけ尊い存在なのかは、もはや言うまでも無い。
なにはともあれ、かつて日帝が中華民族を奴隷とせんと侵略したのに対して偉大なる毛主席が中心となって勝利を勝ち取った共産党だからこそ、人民を統治することができるのだ!
「人民の生活が第一」
我々は、謙虚で、慎重で、おごりをいましめ、あせりをいましめ、誠心誠意に、中国人民に奉仕しなければならない・・・「毛沢東語録」
中国共産党は何よりも10億以上もの中国人民に安心と暮らしやすい社会を建設するため日々精進している。
元気な農民を復活させる
かつての偉大なる毛沢東主席は都市部と農村部の戸籍をわけることで効率的な社会を生み出そうとした。
とく農村部の場合、人口が約7億人と全体の人口の約半分以上が農業を営んでいる。
そんな大多数を占める農村部の統治は、なるべく地方管理にまかせることによって国家負担を出来るだけ小さくしている。
そのため、農村の社会保障のほとんどは地方の郷鎮企業による負担が大きく、国家による社会保障は事実上皆無に等しいといっても過言ではない。
しかし、中国共産党は農業税を撤廃することで農民の負担を軽減したのでアル。
そのため農民が負担する税や費用は牧行税、農業特産税、耕地占用税、不動産契約税、郷鎮企業の管理費として公績金、公益費、管理費、あとは教育付加費、計画出産費、福祉費、民兵訓練費、道路費のみを負担することに留まった。
そんな共産党の厚遇が行われたにもかかわらず、年々農民による暴動あっいや!少々過激なお祭り騒ぎが頻発していることは、まさに元気な農民の復活を暗示している。
人民をカルトからまもる政治
そしてアヘンである宗教を弾圧っいや!規制することで人民がカルト教団に引っかかる心配もなくなるのでアル。
とくにカルト教団として名高い法輪功に対する取り締まりには厳重である。
例として彼らが共産党への抗議を行った際には、中国公安が一斉逮捕に踏み切った。
これに対して法輪功は一万人にも及ぶ信者を政府高官居住地区である北京中南海付近に動員することで、大規模な抗議活動を行った。
共産党としてはこれらを見過ごすわけにはいかず、無謀な国家転覆を謀ったっとして強硬的な検挙に踏み切る。
さらに江沢民同志はカルト宗教に対する見せしめとして→sm2818780
「いちばん」大切な子どもを守る責任
一人っ子政策を実施することで親への負担を軽くするという画期的な子育て支援を行うことにより、子供をかわいがる親が急増した。
その一方でたった一人の子供を甘やかす親とともに肥満児が急増する。
このようなぜいたくな生活を送る現代の子供のことを小皇帝または小公主と呼ばれているのでアル。
しかし、子供を食べる親が存在した以前の中国に比べれば、これらがいかに文明的に改善されたのかが理解出来ることであろう。
されど2020年には大きく男女比がアンバランスになり、結婚をしたくてもできない独身男性が一気に増えることが懸念されている。
原因は、男児にこだわる中国人民が多く、特に女児が生まれると分かると流産や戸籍を取らずに闇取引に差し出すキチガイ親が多く存在するためでアル。
共産党は教育政策にも積極的に取り組んでおり、子供たちに愛国教育を熱心に学ばせることで、民主化運動による国家転覆などと言う厨二病的な発想を浸透させないよう、つね日ごろから子供達に洗脳っいや正しい教育をさせる必要がアル。
そのため、未来を担う大切な子供たちに小日本への憎しみをのどが裂けるまで唱えさせる必要がアル。
なによりも、重要なのは子供たちに中国共産党の偉大性を徹底的に叩きつけることでアル!!
グローバル化というアヘン
今日までの中国人民による幸福は、こういった孔明の策にも劣らない同志達によって行われた英明なる政策によるものが大きい。
10億の人口と多数の民族を抱える中国を安定的に統治するためには、こういった政府による強い政策が不可欠なのでアル。
しかし近年のグローバル化では人権や民主主義の名のもとに我が国の主権を脅かそうとしていることも事実でアル。
そのためには少しくらい政府の監視っいや!保護は仕方がないことなのでアル。
と に か く!人民は何も言わずに黙って中国共産党についていけばいいのでアル。
公害問題
急激な工業化が進む中国にとって公害は大きな問題であり、環境政策に関して言えば、###ここからの文章は中華人民共和国国家安全部により不適切と判断されたため中華人民共和国公安部により粛清されました###
人権について
###中華人民共和国国家安全部により不適切な用語を使用したと判断されたため中華人民共和国公安部により粛清されました###
役職
「国家主席と首相ってどっちのほうが偉いの???」よくこんな言葉を耳にするが、一番偉いのは国家主席でも首相でもない。中国共産党のトップである総書記こそが中国で一番偉い。
なぜならば、中国という国家を指導することが中国共産党に課せられた使命だからでアル。これはかつて毛沢東が国家主席には就かずとも党主席として権限を握っていた姿からも明確である。
そのため、現在の最高指導者である習近平主席は国家主席という役職のほかにも総書記を兼任することで権力を握っているのでアル。
では、首相は一体なんのために存在してるんだっと疑問に思う人もいるとおもうが、首相は党で決められた方針を着実に実行へ移すための現場監督である。なので当然ながら首相も偉いし、国家のみならず共産党にとっても必要不可欠な要職なのでアル。
重要なのは、これらお偉いさんたちは党の常務委員の中から選出されるという点にある。日本でたとえれば国会議員の中から総理大臣やら国務大臣が選出されるのと似ている。
だが、ここで注目するべき点は、日本のように立法権を有する国会において国の最高指導者が選出されるのとは違い、中国では一政党の最高幹部の中から選出されているという点にある。
つまり日本でたとえるのなら国会に議席を有していない自民党の幹部から総理大臣やら国会議長が選出されるようなものゆえ、小日本国民にとっては何とも違和感を抱かざる得ない体制である。
こういった特徴を持つ中国の体制に触れてみるだけでも、いかに中国共産党が絶対的な権限を有しているのかを垣間見ることができる。
歴代指導者の紹介
中国の国家指導者は通常5年おきに行われる全人代で二選されるため実質10年の任期によって政治が行われる。
そのため国家指導部は世代ごとに分けられる。例として一世代目は毛沢東と周恩来による建国・文革期、そして二世代目は鄧小平と胡耀邦などが率いる改革開放の世代、三世代目は江沢民や朱鎔基率いる愛国教育および経済成長の世代、そして現在の胡錦濤と温家宝率いる四世代から次の習近平率いる五世代へと続いていくのでアル。
世代 | 名前 | 功績 |
1☆ | 毛沢東 | 中華人民共和国を建国した偉大なる指導者であられる。政策としてまず、階級制度の見直しを行うため戸籍制度を整えた。しかしそれが今日までの中国人民に多大なる格差の原因になり果てたことは絶対に触れてはならない。 大躍進政策により人民の平等と幸福のために社会主義建設へまい進なさるが、革命にも血が伴うように餓死者の数は全体で7億人の中からたった3000万人程度であるにもかかわらず、人民に苦しみを味あわせてしまった責任感から潔く権力を後にしたのでアル。このような毛主席の謙虚さは政治家の鏡であり小日本の首相も見習うべきでアル! |
1 | 劉少奇 | 毛主席の失敗を盾に鄧小平とつるんで権力を握ろうとした悪しき存在。毛主席の素晴らしい社会主義建設に文句をつけ、共産党員であるにもかかわらず金銭腐敗にまみれた資本主義政策を行おうとした。まさしく裏切り者のフルシチョフと同類であり絶対に許さん!っと紅衛兵の迫害や文革四人組の工作により失脚をしてしまった。しかし、のちに鄧小平主席により名誉回復が施された。 |
1☆ | 毛沢東※覚醒 | 悪しき劉少奇は毛主席が黙っていることを良いことに好き勝手な政治を行っことへの天罰として毛主席の本気が発揮されたのでアル。毛主席を怒らすとどうなるのかを中国人民および中国全土に思い知らせた結果。 当時の7億人民は生き地獄を見るはめになり、広い中国は瞬く間に紅一色に染まり、深い中国の文化はすべてを破壊しつくされたのでアル。 いわゆる文化大革命が中国全土で巻き起こり。これもすべて毛主席を怒らせた劉少奇が全て悪いニダじゃなかったアル!そんな毛主席でも子供好きな心やさしい一面があり寝室では幼女を非常に可愛がっていたという。そんな親愛なる主席は新たなる革命を築くには階級社会廃止を力説したが、格差の一因となっている戸籍制度を作ったのが彼であるということは絶対に触れてはならない。 |
1 | 周恩来 | 建国元老の一人であり、中でも人民からもっとも愛されているのが周恩来首相である。そんな首相は若いころ小日本の明治大学で学んだ留学生の一人であり、早くから革命に身を投じ政治改革を常にサポートしつづけた。文革時にはなんとか毛主席の怒りを鎮めようと奮闘したことが、逆に勢いを盛り上げようとする四人組からウザったく思われたため、意図的に薬や治療を十分に受けられず、激務の中で過労死。しかしそんな周同志の追悼式のために多くの民衆が天安門に献花したが、それをおもわしく思わなかった四人組は民衆を検挙したことにより、騒ぎが深刻な自体に陥った。これが一般的に中国で言う天安門じっ###禁止用語です。### |
1.5☆ | 華国鋒 | 偉大なる毛沢東主席の死後、彼による推薦で軍、党、政府のトップの座に就いたことから最高権力を一気に手にした。 しかし四人組を逮捕を決行したものの、人脈の乏しさから早くも鄧小平主席によって政権を奪われてしまう。 |
2☆ | 鄧小平 | 国家主席、総書記には就任してはいないものの毛主席の死後、その絶大なる権力を前に中国の同志たちは震えが止まらなかったという。そんな主席は自らのしもべをリーダーの地位につかせることで、闇将軍として政権を動かしていたという。ドラクエで例えるならば国家主席、総書記がバラモスだとして鄧小平主席は、まさしく大魔王ゾーマである。そんな彼は文革で疲弊した国家経済を立て直すため改革開放の道を進める、その結果豊かになると同時に酷い格差が築きあげられたツケを今の世代が抱え込んでいることは、禁句でアル。また、勉強もろくにしないで天安門広場をたまり場として使用していたアンチ共産党のDQN共を老人として説教をするために人民解放軍ごと引いて###ここからの発言は中華人民共和国国家安全部により不適切と判断されたため中華人民共和国公安部により粛清されました。### |
2 | 胡耀邦 | 鄧小平主席が裏で権力を操っていた最中、民主化を肯定したうえに我が領土であるチベット、ウィグルに気を許した売国奴である。 そのうえ許せんことに憎き小日本への友好を常にアピールしたため、当然ながらかつてお国のため抗日戦争に参戦した保守派の長老たちからの不満を煽った。一方で、小日本大好きな胡耀邦のイメージダウンを懸念した中曽根首相(当時)は靖国神社を参拝しなかったことで、結果的に外交カードがまた一つ増えた功績も存在するのでアル。 そんな売国奴として名高い胡耀邦だが胡錦濤、温家宝は彼の弟子であり門下生なため要注意が必要でアル。 |
2 | 趙紫陽 | 胡耀邦が失脚をしたあと首相である趙紫陽が横並びの形で総書記に就任する。 天安門広場にたむろしてたアンチ共産党共を弁護した。最終的には失脚するものの、駒を失った鄧小平主席はすぐさま南方におもむき、自らが行ってきたことの正当性をアピールすることで、改革開放が続行された。 |
3☆ | 江沢民 | 胡耀邦とは真逆に江沢民主席は小日本が大嫌いであり、つねに奴らへの気を許さなかった。なにより天安門にたむろしていた不良青年の姿に痛く心配した主席は、愛国教育を一から叩きつけることで教育の再生を図った。 自らは中国の皇帝になったつもりで金印の授与や、かつて小日本が行った罪悪を直接小日本国王へ訴えつけることで、たくましい指導者としての器をアピールした。 有名な事例として1998年の来日時には小日本への謝罪文書の要求を小渕首相(当時)に蹴られたことへの腹いせに晩餐会では小日本国王の目の前で日本は永遠に反省しろ!と直球に投げかける姿はどれだけの小日本人の顰蹙を買ったことか。しかし抗日戦争時、父親が日本軍に協力をしていたことはあまり知られていない。 |
3 | 李鵬 | 天安門にたむろしてた不良青年に対して説得をするも言うことを聞かない彼らに手を焼いたため、人民解放軍の出っ!###粛清されました。###その後、人民から愛されつづけている周恩来同志の息子であるにもかかわらず、人民から大変嫌われていたためナンバー2の地位にとどまった。たくましくも「20年後には日本という国は地上から無くなる」と発言しており、小日本国民から物議を醸す。そんな彼でも義父である周恩来は小日本で学んだ留学生であることはあまり知られていない。 |
3 | 朱鎔基 | 江沢民政権時には首相として、国内企業の首を容赦なく切り落とし外国企業を積極的に受け入れる姿からツァーリ(皇帝)と呼ばれた。当の江沢民よりも皇帝らしさをを見せ付けた。 当時の世代としてはめずらしく、さほど小日本を侮辱していない。とくに「過去の戦争は日本国民も苦しんだのであり、日本だけが責められるべきではない」っと発言したことは、あれだけ飽きもせずに小日本の悪口をしゃべり続けていた江沢民とは一線を引くところでアル。 |
4☆ | 胡錦濤 | 江沢民のユニークでインパクトの強い容貌と比べれば、胡錦濤はいかにも地味で味気ない雰囲気が漂っている。しかしそんな容貌とは裏腹にチベットでの暴動を潔く解決させたことがきっかけにより鄧小平主席に見出された。もちろんチベット暴動の解決がどの様な方法で行われたのかについては絶対に触れてはいけない。そして宿敵であり上司である江沢民の妨害を切り抜けたことで晴れて中国13億人民の頂点までのぼりつめる。 我々中国人民に常に正しい事実を伝えるためにマスコミや情報の監督を常に怠らず、最大の盟友でもありパートナーでもある温家宝(首相)と共に今日までの中国を指導していた。 なかなか次の世代に権力を譲らなかった江沢民の前例があるゆえ、習近平政権移行時には権限の譲歩についていろいろな議論がされていた。しかしそんな見識を裏切るかのようにあっさりと役職から身を引く。家庭では、かかあ天下であり,現在でも奥さんからお小遣いを貰っていることはあまり知られていない。 |
4 | 温家宝 | 盟友であり、友である胡錦濤主席を支える指導者の一人でアル。 容貌はとても穏やかで外国では靴を投げられても記者からいろいろ突っ込まれてもずっと笑顔でいられる姿はまさに温首相のチャームポイントでもある。天災があった時には現場にいち早く駆け付けたうえ首相という身でありながらも人民と直接触れて励ましあっているところはまさに感動の瞬間でアル。しかし、現場にはすぐ駆けつけるものの肝心な物品の支給や救助活動は中々すぐに行われず、人民をじらさせることでも有名である。また、かつての趙紫陽の弟子であり、天安門事変のさいには若き日の彼の姿を何気に見ることができる。 |
5☆ | 習近平 | 抗日戦争の司令官であり国家元老である習仲勲の息子であるからして今の中国のリーダーである。そんな習近平主席は今現在の最高指導者であり特に五世代目は文革に青春時代を迎えた、いわゆる失われた世代が中国人民を引っ張って行くため今後の活躍が注目される。そんな政界の花形的存在であるのと裏腹に彼の容貌は田舎のおっさんを彷彿させるが、妻は中国では大スターの彭麗媛であるからうらやましい。そのため外交の場では奥さんの美貌に主席の影が埋もれてしまっている。増え続ける汚職により中共の支持率を失いつつある国内では自身の高潔さをアピールしつつ、汚職撲滅を掲げることで人民の支持を得ようとしている。 2009年に副主席として来日しており、とくに小日本国王との会見は一か月ルールを破った形で行われた。先輩の胡錦濤が副主席として来日した際、小日本国王と会見したのを踏まえて、自身の出世のために皇室を政治利用したのではないのかと推測されている。 |
5 | 李克強 | 今の中国の首相である。今でもたまに温家宝への批判コメを見ると、けして目立っている存在とは言えない。小沢一郎議員と親交があり、かつて来日したときには自宅に招かれ一夜をともにすごしたほどの仲であるそうだ。とくに、注目するべき点は習近平主席の親分が江沢民であるのに対し、首相は胡錦濤前主席の後輩という点にある。そのため、派閥関係でのジレンマがいまだ途絶えていないゆえ、従来の政権中、習近平体制は最弱のものになるのではないのかということもささやかれている。 |
派閥
中国共産党と言えば一党で10億もの人民を統べる頼もしい政党であることには変わりないが、なかをのぞいてみれば、けして一枚岩とは呼べない現状がある。
現時点で共産党内では派閥対立が存在しており主に胡錦濤(共青団)・温家宝など調和派がバックの「胡錦濤派」と上海閥を中心とする「江沢民派」の間で派閥争いが存在している。
もちろん人民にはこういった派閥を決める選挙権がない。
そしてこれらの派閥は2012年には共産党総書記の任期を満了する胡錦濤主席の後継をめぐって、胡錦濤派である李克強と江沢民派である習近平(2009年12月に来日)との対立がしばしば話題になっていたが、習近平が2010年10月の中全会で党軍事委副主席に選出されたことによりポスト胡錦濤が事実上確定した。
2012年11月に党の最高指導部である、中央委員会常務委員が選出された。その際、江沢民に近い党員が多数選出されたため、、江沢民派の影響力がいまだに衰えていないことがうかがえる。
派閥名 | 胡錦濤派(共青団、調和派) | 江沢民派(上海閥、太子党) |
政治 |
内陸(農村部)と沿岸部(経済特区)で格差の均等を図る「安定」主観→左派 | |
主な |
||
支持層 |
国有企業、内陸部に住む農民(簡単に言えば貧しい人々) | 大企業、経済特区に住む富裕層(簡単に言えば裕福な人々) |
派閥特徴 |
汚職の常習犯 保守色が強い。 |
こういった図からも分かるとおり、どの派閥が支配するかにより人民の生活がどれだけ影響されるのかが理解できることであろう。しかし現在の中国人民は全人代の同志たちを決める選挙権がないために、あてもなくただ寄り添うしか方法がないのでアル。
中国共産党の思想について
中国共産党も一応一つの政党であるからして、もちろん政治思想は存在する。
しかし「中共の思想って共産主義やら毛沢東思想やら一体なんなの!?つか、今の中国って明らかに共産主義とは言えないよなw」っといった雰囲気で中国共産党のイメージがつかめないのは周知のとおり。
そこで、中共の思想を知るためには大きく5段階に分ける必要がアル。①「マルクス・レーニン主義」⇒②「毛沢東思想」⇒③「改革開放路線」⇒④「三つの代表」⇒⑤「科学的発展観」っと行った具合によるものでアル。
こうした、思想の歩みの変化には国内の情勢はもちろんのこと、何よりも派閥争いが含まれていることが特徴でアル。
とりあえず、文章で書くとカチカチになってしまう恐れがあるので以下の図にまとめみた。
中華人民共和国建国 ①「マルクス・レーニン主義」
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マルクス主義に従い、まずは共産主義のまえに近代化をして国を豊かにさせることを目指す。
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とりあえず国内を近代化
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ある程度、生産水準が上昇する。
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集団生産化の開始、本格的に社会主義へ突入(大躍進政策)
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現状と常識を無視した極端な生産により大失敗。餓死者続出の悲惨な状況に毛沢東が権力から身を引く
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劉少奇、鄧小平による市場経済の導入(修正派により毛沢東の政策を見直す)
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経済の立て直しを図るも、市場経済という自分の主義と180度違うことに毛沢東キレる。
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党内が毛沢東派と修正派(劉少奇一派)に分裂する。
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紅衛兵に向け毛沢東が四人組を通して修正派へ攻撃命令を下す。
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文化大革命により再び毛沢東が絶対的な権力を握る ②「毛沢東思想」
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毛沢東が亡くなるまで紅衛兵により中国がメチャクチャな状態に陥る。結果中国経済が10年遅れる。
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鄧小平による市場経済の導入 ③「改革・開放路線」
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なんとか中国経済を立て直す。
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鄧小平の「4つの基本原理」によって市場経済を認めながらも中国共産党の正当性を主張
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金もうけは認めても民主化は絶対に認めないことを確立する。
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保守派(長老派)と改革派(鄧小平派)の派閥が対立。
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鄧小平の影響で改革派が主導権をにぎる。
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改革派の胡耀邦総書記が民主化への意欲を示す。
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親分である鄧小平の反感を買う
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そして親日ぶりが保守派に目をつけられた結果胡耀邦が失脚。(このとき胡耀邦失脚を考慮して当時の中曽根首相は靖国参拝を自粛する⇒以後、靖国問題へ発展)
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胡耀邦失脚に動揺して学生による民主化運動がさらに過熱される。(天安門事件)
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民主化運動にビビった共産党指導部が自分たちへの不満を他に向けさせることを模索。
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江沢民により愛国教育(反日教育)が施行される。
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若者たちによる反日意識が高まる。
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江沢民が改革開放路線を継続、これをもとに市場経済をさらに拡大させる ④「三つの代表」
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資本家を優遇することでさらに経済の飛脚を目指すと同時に格差社会が広がる。
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「和楷社会」のスローガンを唱えることで、胡錦濤が格差の均等化を目指す。
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内陸部(とくに農村部)などに住む人民への社会保障の充実を目指す。
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胡錦濤により協調社会での国家の発展を目指すことを政治思想として盛り込む ⑤「科学的発展観」
↓富裕層による国家の発展を主張する江沢民の「三つの代表」に対抗して、平等主観での国家の発展を説く
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江沢民派〈上海閥)と胡錦濤派〈共青団)との派閥争いが激化する。
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江沢民派の習近平が次期最高指導者に事実上選出される
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習近平が胡錦濤が掲げた格差是正の問題を引き継ぐことを明言する。
以上の図を見ても分かるとおり、共産党の思想はところどころにあった事情に組み込ませている。
いずれにしろ中国共産党の土台となる思想は共産党による一党独裁政党を堅持し経済発展を優先的に行う社会主義市場経済である。
つまり「お金儲けの自由は認めても、政府が国家や人民に与える権力がとてつもなくデカイこと」これこそが一党独裁制の社会主義市場経済であり中国共産党の最も土台となる思想だということがうかがえる。
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