千代の富士貢(ちよのふじ みつぐ)は、元大相撲力士、第58代横綱。逝去時は年寄九重、日本相撲協会理事であった。
概要
1970年9月初土俵。1975年9月場所新入幕。1981年7月場所横綱昇進。
速攻、豪快な投げで見せる圧倒的な強さと、183cm126kgの小柄でワイルドなマスクから国民的熱狂を呼んだ(ウルフフィーバー)。
1984年には成績がやや低迷し、一時限界説も流れたが、1985年1月は全勝優勝でスタート。30歳を迎えてから本当の黄金期がおとずれる。1986年5月から1987年1月まで5連覇を達成。1988年5月から11月まで53連勝を達成。同年11月千秋楽に大乃国に敗れ連勝がストップした取り組みが昭和最後の一番となった。これは2010年に白鵬に破られるまで20年以上戦後最高の記録であった。
1989年9月場所には通算勝ち星の新記録を達成し、相撲界初となる国民栄誉賞を贈られた。同時に一代年寄が承認されたが辞退(もともと師匠と九重を継承する話がついていたため)。同年3回の優勝を果たすが、ここから緩やかに力が衰えていき1990年11月の優勝が最後の優勝となる。
1991年1月は4日目から休場、翌3月は全休。5月に進退をかけて臨むが初日18歳の新鋭貴花田(後の横綱貴乃花)に敗れ、4日目に同部屋の貴闘力に敗れた一番を最後に現役を引退。引退会見の「体力の限界! 気力も無くなり…引退することとなりました」という台詞は有名。
引退直後には廻しを締めて後輩達に稽古をつけていたが、その稽古内容のあまりの充実ぶりに師匠(北の富士)は「現役以上じゃないか、引退させるのは早かったな」と語ったという。
幕内優勝31回は史上2位、53連勝は史上5位、通算1045勝は史上2位、横綱在位59場所。双葉山、大鵬、北の湖などと並ぶ昭和の大横綱の一人に数えられる。引退後は当初は陣幕を襲名[1]し部屋付き親方に、1年後に師匠と名跡交換して九重親方となり大関千代大海などを育てた[2]。
2016年7月31日、膵臓がんの為東京都内の病院で死去。享年61歳。九重の名跡は弟子の千代大海が襲名した。
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関連項目
脚注
- *日本相撲協会からは成績が優秀であったために一代年寄となることを全会一致で承認されていたのだが、九重部屋を継承することが決まっていたために陣幕を襲名したという経緯がある。
- *なお、部屋を継承した後に部屋付き親方だった八角(元・北勝海)が独立して八角部屋を創設した際に、所属力士や部屋付き親方だけでなく施設も引き継ぐことになったため、九重部屋は千代の富士の代で完全に歴史が切り替わっている。
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