地獄への道は善意で舗装されているとは、ことわざ/格言/警句の一つである。
「地獄までの道は善意で舗装されている」など、微妙に異なる表記がされることもある。
概要
日本だけではなく世界各国で用いられている言葉であるようだ。例えば英語での表現は「The road to hell is paved with good intentions」などとされる。同じ意味になる別の言葉でも表現され、例えば「intention」(意図、意向)が「purposes」(目的、ねらい)となっていることもある。
一般的には「善意によって行われたことが良い結果につながるとは限らない」という意味合いで用いられる。さらにここから発展して「多くの人が関わる巨大な悪い結果というものは、誰にも積極的な悪意は無く善意で進めようとしたときにこそ起きやすいものなのだ」という含意を含むこともあるようだ。
例えば「〇〇という有害な生物がいて住民が困っている。減らすために〇〇を捕食する天敵の生物××を連れてこよう!」という善意の結果、「連れてきた××という生物が増えすぎて〇〇より深刻な害を及ぼすようになった」といったような例が言えるだろうか。
あるいは「こいつらはこのような悪事を行った」というデマに惑わされて「なんて悪い奴らだ、懲らしめなくてはならない!」という考え方の元に無実の人々を害したという出来事があったとして、その時の加害者は「悪を懲らしめるという正義、つまり善行をするつもりだった」と釈明するかもしれない。
こういった出来事について表現する/戒める言葉として「地獄までの道は善意で舗装されている」という言葉が用いられるのである。
「悪意が無くても悪い結果に繋がりうる」というアイディアは、「無能な働き者はたちが悪い」とか「愚かさによって十分説明されることに、悪意を見出してはいけない」(ハンロンの剃刀)という別のよく言われる言葉とも共通するものがある。
「善意だけではだめ」という意味合いでの使用
やや一般的ではないものの、「善意があるだけではだめ、行動が伴わなければいい結果にはつながらない」とか、「善意を持つだけなら誰でも行える簡単なことである、そこに行動を伴わせることこそが必要かつ難しいことなのだ」という意味で使われることもあるらしい。
ただし、その場合は「地獄への道は善意で舗装されている、天国への道は善行で舗装されている」とか「地獄は善意で満ちている、天国は善行で満ちている」などと、後ろに補足が付けられることがあるようだ。
起源
起源についてははっきりしない。
だが日本で言及されている初期の例は海外の人物の著作の翻訳にて、あるいは「外国のことわざ」として紹介されていることが多いので、日本由来ではなさそうである。
英語での古い形式では「Hell is paved with good purposes」または「Hell is paved with good intentions」などと、「~への道」にあたる「The road to」の部分が無いかたちで言及されている事が多いようだ。
そしてこれらのかたちでGoogle booksで検索すると、1690年にイギリスで出版された書籍[1]に「Hell is paved with good purposes」という文章がある。2024年8月時点でこの方法で探す限りでは、これが英語での最も初期の例であるようだ。もちろん「さらに古い例があるが現時点では検索に引っかからない」というだけであったり、そもそも「英語の文献が起源ではなく他の言語であればより古い用例が存在する」という可能性もあるので、この結果は「少なくとも1690年より以前に起源がある」ことを示すものでしかないが。
関連動画
関連項目
脚注
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