概要
はじめ実名吉直。可晴とも書く。諡は毛助(もしくは茂助)。帯刀先生。豊臣政権のいわゆる三中老の一人だが、この役職に関する一次史料は存在せず、小瀬甫庵の創作との見方が強い。
尾張国丹羽郡供御所の出身で、羽柴秀吉に近江長浜時代から仕える。毛利攻めにも当然参加しており、山崎の戦で天王山に先登し、その功績で丹波国氷上郡に六千二百石を与えられた。
柴田勝家勢力が滅亡した後、若狭国の高浜城を与えられる。さらに羽柴秀次の老臣として佐和山城に移り、四万石の織豊大名となった。その後は秀次に従い、九州征伐には京の留守を預かり、関東征伐では山中城などを攻略していった。戦後豊臣秀次が尾張に入ったことに従い、遠江国浜松城十万石に加増転封される。そして池田輝政、山内一豊らと関白様御家中衆の一員となる。朝鮮出兵でも秀次とともに国内の留守を任された。しかし1595年の秀次事件で連座こそ免れたものの、関白様御家中衆は崩壊することとなった。
豊臣秀吉が亡くなった後、「御留守居」として越前国府中城五万石を付与され、浜松城は息子の堀尾忠氏に譲る。これは前田利長対策ともいわれている。
関ヶ原の戦いでは東軍に属し、戦後出雲・隠岐両国二十四万石に加増移封された。しかし、息子の堀尾忠氏の早世、孫の堀尾忠晴の無嗣断絶のため改易されてしまった。
補足
秀吉家臣団の中ではそこそこの値というところで、あまり前線では活躍させられない。
軍事能力 | 内政能力 | |||||||||||||
戦国群雄伝(S1) | 戦闘 | 56 | 政治 | 46 | 魅力 | 61 | 野望 | 45 | ||||||
武将風雲録(S1) | 戦闘 | - | 政治 | - | 魅力 | - | 野望 | - | 教養 | - | ||||
覇王伝 | 采配 | 65 | 戦闘 | 61 | 智謀 | 44 | 政治 | 63 | 野望 | 38 | ||||
天翔記 | 戦才 | 124 | 智才 | 92 | 政才 | 126 | 魅力 | 65 | 野望 | 39 | ||||
将星録 | 戦闘 | 66 | 智謀 | 56 | 政治 | 69 | ||||||||
烈風伝 | 采配 | 55 | 戦闘 | 50 | 智謀 | 61 | 政治 | 62 | ||||||
嵐世記 | 采配 | 51 | 智謀 | 51 | 政治 | 52 | 野望 | 51 | ||||||
蒼天録 | 統率 | 45 | 知略 | 58 | 政治 | 56 | ||||||||
天下創世 | 統率 | 45 | 知略 | 56 | 政治 | 66 | 教養 | 54 | ||||||
革新 | 統率 | 61 | 武勇 | 50 | 知略 | 63 | 政治 | 72 | ||||||
天道 | 統率 | 61 | 武勇 | 50 | 知略 | 63 | 政治 | 72 | ||||||
創造 | 統率 | 59 | 武勇 | 54 | 知略 | 62 | 政治 | 71 |
関連項目
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