「捕らぬ狸の皮算用」または「取らぬ狸の皮算用」または「とらぬ狸の皮算用」とは、ことわざ/慣用句である。
本記事の記事名は「捕らぬ狸の皮算用」になっているが、辞書などには「取らぬ狸の皮算用」の方の表記で載っていることが多いようだ。
意味としては「現実性をあまり考えない甘い見通しをもち、そしてその見通しに基づいて計画を立てる」と言ったところ。「机上の空論」という言葉に似ている。
概要
狸の皮どころか狸をまだ捕ってすらいないのに、狸の皮を売ったら大儲けすると思い込んでいる様。類語の「机上の空論」と同じく、現実が見えていない、根拠がない思い込みというニュアンスが強いため、あまりいい意味で使われることはない。
転じて、まだ何も行動を起こしていないのに、起こせば自分に大きな利益が来ると思い込んでいる様子を指すと解釈し、現実から逃げて空想の世界に逃げている「現実逃避」を指す言葉だと見なす人もいるようだ。
こういった「机上の空論」「甘い想定」と言ったものは人類の歴史上の至る所について回るものであり、古くから存在するし、外国語にも類似のことわざ/慣用句は存在している。例えば英語では「Don't count your chickens before they are hatched.」(卵が孵化する前から鶏としての数に入れるな)という言葉がある。
捕らぬ狸の皮算用。
まうけぬ前の胸算用。
といった4つの言葉が連続して掲載されている。[3]この4つはほぼ同じ意味合いのことわざであったかと思われるが、このうち「捕らぬ狸の皮算用」だけがメジャーなものとして残ったのは興味深いかもしれない。
こういった「甘い想定」や「思い込み」そのものは人間誰しもが持っているものであり、また「未来をポジティブに考えて行動を促す」ものとも言えるため、「即ち悪」というわけではない。しかし甘い想定や机上の空論に基づいて行動すれば当然失敗して二進も三進もいかなくなることも考えられる。そのため、こういった「とらぬ狸の皮算用」的な言動をとりすぎると、周囲の人間からは「大丈夫だろうか?」と不安視されたりと、あまりいい印象は持たれないかもしれない。
狸の皮を本当に捕って思ったより儲からないと絶望するよりは、わざと捕らずに夢見たまま生き続けたほうがマシな気もするため、決して否定は出来ない。この辺は宗教とも似ている。調べたところだと服の相場は1着につき殆どが1000~3000円であったが、1着10~30万円で売れると思い込んだまま死ぬのもある意味幸せと言える。
狸の皮が売れないことを知った上で、ならば数を増やしたり質をよくしたりで勝負しようなどという更に気合いを入れた考えが出来るタイプであれば話は別だが。
関連項目
脚注
- *「襁褓」とは「むつき」「おしめ」「きょうほう」などと呼び、産着やおむつのこと。新生児の死産率が少なくなかった時代を反映しているものか。
- *「狢」は「むじな」と呼び、アナグマやタヌキなどを指す。「直」とはこの場合は「あたい」と読んで「価値をはかること」を意味するのではないかと思われる。
- *俗諺論 - 国立国会図書館デジタルコレクション より引用
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- ページ番号: 5642404
- リビジョン番号: 2988822
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