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海部 俊樹(かいふ としき、1931年1月2日 - 2022年1月9日)とは、日本の政治家である。
概要
写真館を経営する家に生まれる。名古屋市立南久屋小学校、旧制東海中学を卒業する。中央大学専門部法科に入学し、卒業後に衆議院議員の秘書となる。その後、早稲田大学法学部に編入、早稲田大学大学院に進学する。
1960年に衆議院選挙に立候補し、全国最年少として国会議員となる。三木武雄内閣で内閣官房副長官、福田赳夫内閣と第2次中曽根康弘内閣では文部大臣を務める。文部大臣として共通一次試験を導入した。
リクルート事件によって自民党内で党総裁に立候補する者があまりおらず、竹下派が総裁選において海部を支持した為自民党総裁に就任、多数派の自民党によって国会の指名選挙で首相に任命され、内閣総理大臣に就任した。
総理大臣在任中の支持率は高く、内閣不信任決議がされなかった首相としては最も長く首相を務めた。内閣総辞職後は宮澤喜一が首相を務めた。
自社さ連立政権の際に、自民党が日本社会党の村山富市を首班指名することに反対し、自民党を離党。新進党を結党し、初代党首となる。その後、保守新党にも加盟するが、保守新党が自民党に合流する為、結果的には自民党に復党することとなった。
2009年の衆議院選挙で落選し、政界を引退。首相経験者の落選は片山哲、石橋湛山など少数である。
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関連項目
第75代 | 第76代,第77代 | 第78代 |
宇野宗佑(自由民主党) 1989~1989 |
海部俊樹(自由民主党) 1989~1991 |
宮澤喜一(自由民主党) 1991~1993 |
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