田村月斎(たむら・げっさい 生没年不詳)とは、陸奥の戦国武将。田村家の謎の軍師である。
概要
陸奥・三春を拠点とした戦国大名田村氏の一族で、主に軍師的役割を担った(といわれる)。1590年まで活動の記録が残っているが、父親の没年を考えると100歳をゆうに超えてしまう高性能じいちゃん。その実像は謎である。
生涯
田村盛顕の子で、田村義顕の弟。月斎は出家後の号で、俗名は田村顕頼(~あきより)。父は生年不詳・1487年没、兄は生年不詳・1561年没。そんな訳で月斎自身の生年は1488年以前である。
謀略を得意とした通称「攻めの月斎」。義顕の子・田村隆顕の時代から田村家の重鎮として本格的に活動が見られるようになる。この頃の田村氏は、周辺諸豪族が蘆名氏につく中、佐竹氏と組んで反蘆名を貫くというロックな道を歩んでいた。月斎は蘆名傘下の二階堂氏を攻めて、今泉城を落とすなど活躍している。この時1559年、どんなに若く見積もっても既に72歳である。元気すぎる。
その後田村家は方針を180度転換し、蘆名氏と組んで佐竹氏と戦う道を選ぶ。1571年、留守を狙った佐竹義重の滑津館攻撃を撃退。1574年に甥の隆顕が死去したため、この後は大甥の田村清顕を補佐していく事になった。最低でも87歳、まだまだ現役である。
ところが時を同じくして、蘆名氏と佐竹氏が和解したため、田村家の周りは360度全て敵だらけという非常事態になってしまった。そこで1579年に清顕の娘・愛姫が伊達政宗に嫁ぎ、以降は伊達氏と組んで戦うことになる。もちろん月斎さんは相変わらず元気に二階堂さん達と戦っています。
1586年。当主の清顕が急死。父、兄、甥、大甥と当主の死はもう4回目である。しかし清顕には男子がいなかった。清顕の遺言は「政宗と愛姫の間に子が生まれたら養子に迎えてくれ」というものだったのだが、清顕の未亡人(相馬顕胤の娘)は実家の相馬氏を頼ろうと考え、田村家に御家騒動が発生してしまう。それでも月斎(推定年齢100歳)はあくまで伊達氏につく方針を貫いた。
1588年には相馬氏が三春へと乗り込んでくるが、月斎率いる田村家伊達派は伊達政宗らと共にこれを撃退。この時、相馬家臣の江井胤治を狙撃して討ち取っている。翌年には政宗の須賀川・二階堂氏攻撃にも参加。じじ様フル稼働である。
…が、田村氏自体は(伊達氏の圧力もあり)小田原に参陣出来なかったため、奥州仕置で改易されてしまった。同時期をもって月斎も史料から姿を消す。
謎に包まれた田村氏の長老は、守り続けた「戦国大名・田村家」の滅亡と共にこの世を去ったのかもしれない。二代以上にわたって月斎が襲名された可能性や、あるいは全くの架空人物とするなど諸説ある。
信長の野望
信長の野望・創造PKの発売時、ニコニコ生放送において「DLC配布して欲しい武将」のアンケートを取った際に候補の一人に挙げられたものの、残念ながら三番手で落選してしまった。(選ばれたのは山内千代と朝倉一玄)
息子に田村顕重がいるとされる。顕重は天道の諸勢力頭領(三春村)として登場した。天道には田村清顕すら登場していないのに何故かこのチョイス。
そして2017年、「信長の野望・大志」のニコ生タイアップ武将データとして戦国最強BBA妙印尼こと「赤井輝子」とジジババタッグセットでダウンロード販売がスタート、ついに田村の守護神が信長の野望ワールドに公式で登場する事となった。
配信先は以下の通り(月斎じいちゃんを使うには別途ゲーム本体が必要)
関連動画
関連チャンネル
関連項目
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