白いボールのファンタジーとは、日本プロ野球・パシフィックリーグ公認の連盟歌である。
発表から既に四半世紀が経過しているが、全く古さを感じさせないメロディが多くのパリーグファンの心を掴んでいる。
「白ファン」が生まれた時代背景
今でこそパシフィックリーグと言えば、地域密着を念頭に置き個性豊かな選手・チームが揃っていたりセリーグとはまた違った独特の人気があるリーグだが、ほんの30年ほど前までは、巨人を初めとするセリーグの人気に隠れて閑古鳥の鳴くガラガラの観客席が日常茶飯事であった。これは誇張でもなんでもなく、パリーグを代表する数々のビッグプレイヤーが「(観客の数が)両手で数えられる」等と口々に証言するほど、「パリーグ=マイナー」というイメージが先行していた。
80年代以降ファンは徐々に増え始め、セリーグの優勝チームを毎年薙ぎ倒した常勝西武軍団や今や伝説の近鉄バファローズ「10・19」など数々のドラマや強豪チームが形成され、また2004年の球界再編問題を機に多くのファンが球場へ足を運ぶようになった今では、セリーグにも引けを取らない人気を誇っている。
しかしそこまでたどり着くまでには、並々ならぬ苦労と険しい道のりがあった。
1970年代のパリーグは荒れに荒れていた。
西鉄(現・埼玉西武)ライオンズは八百長問題に端を発するマイナスイメージがつきまとい、72年に経営不振のため経営権を手放す。更に73年2月には戦後すぐから参加していた東映フライヤーズが日拓ホームに球団を売却。「七色ユニフォーム」などで必死に盛り上げようとする。が、世間の反応も成績も芳しくなく、パリーグが先行き不安と見るや1リーグ化を目指しロッテオリオンズと合併しようとするも失敗、そのままあっさり経営権を日本ハムに売り渡してしまう。
ライオンズは福岡野球へ売却されネーミングライツで太平洋クラブライオンズとなったものの成績はサッパリ、77年にはクラウンライターにネーミングライツ変更。そのクラウンライターも長くは続かずまたまた西武へと転売されることになる。
八百長に球団転売、果ては球界再編・合併未遂と相次ぐ黒い噂で、パリーグの評判は冷え切っていた。
(04年の球界再編騒動から31年も前に同じような事件があったことは、若い人にはあまり知られていない。)
「白いボールのファンタジー」概要
1977年、パリーグを盛り上げるため、公認連盟歌として作られた。
詞は公募された中から嶋田富士彦のものが採用され、作曲は歌謡曲の大御所・中村八大が担当した。歌はトランザムが担当。
30年以上経った今も古臭さを感じず、全く色褪せることなく現代のプロ野球にマッチする爽やかな名曲である。
誕生当時は話題になったものの長い間忘れ去られたままになっていたが、パリーグのいくつかの球場では場内音楽として度々流されていたので濃いパリーグファンの間では知っているのが常識と言うくらいだった。04年の球界再編騒動の時、野球ファンの間でクローズアップされ、パリーグの試合ではファンが再編に反抗するかのように合唱していた。
今ではオールスターのラッキーセブンで流されたり、交流戦で歌う応援団もいるので、覚えておいて損はない。
むしろ覚えろ!そして歌え!
ちなみにセリーグにも「六つの星」という連盟歌が存在するが、歌謡曲好きの筆者ですら「うわ、古っ!」という感は否めない。
「白ファン」は大抵のパリーグファンが知っているが、「六つの星」の知名度は全く無い。
それどころか1コーラス歌える人もほとんど居ないくらいである。
「白いボールのファンタジー」選手会バージョン
04年の球界再編騒動の時、一部球場で配られた非売品。
一般発売された物との相違点は、トランザムの代わりに選手会と野球ファンの歌手が歌っていること、そして1番のみパシフィックからセントラルに変更になっている。これはリーグの垣根を越えて球界再編にNOを唱えるためであり、歌っている選手も全員セリーグ所属(当時)である。
以下、歌唱順とその所属。
1番:古田敦也(ヤクルト)→永川勝浩(広島東洋)→嶋重宣(広島東洋)→五十嵐亮太(ヤクルト)→サンプラザ中野→今岡誠(阪神)
2番:礒部公一(大阪近鉄)→金村暁(北海道日本ハム)→鷹野史寿・大西宏明(大阪近鉄)→建山義紀(北海道日本ハム)・金田政彦(オリックス)→田中雅之→川尻哲郎(大阪近鉄)
聞き所は勿論、「モナ」こと今岡誠(‘ε’)の歌唱力である。
あまりにも強烈で、何処を歌っているか一目瞭然。お聞き逃しのないようご注意下さい。
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